作の裏に、作者の心に十分な弁解が用意されていなくてはならない。皮肉は頭のいい証拠にはなるかもしれないが、愛の深い証拠にはならない。およそものを正面から直視しないこと、対手の前にチャンと坐って、対手の目を見て物をいわないことは今の文士の欠点である。要するに私の不満は徳に関する不満である。真に人間としての徳を現在所有しているか否かについてよりも、徳に対しての興味《インテレッセ》、関心の冷淡についての非難である。われらは聖人であることは至難である。しかし聖人の前に帽子を脱するだけの用意はいつでもしていなくてはならない。私はまだいいたいことは輻輳《ふくそう》していて、指定された紙数は後三枚しか残っていないから、同人雑誌『愛の本』においおい書くことにして箇条書きのように簡単に書き列ねておく。
 一、文化の吸収、文献の研究に対する情熱については、それ自身には非議すべき理由を私は認めない。むしろ祝したいくらいに思っている。しかしそれが人間に本当に大切なもの、霊魂の存滅に関するがごとき一大事の等閑に付せらるることを意味する場合には、私はそれを道草であるというに躊躇しない。しこうして私は今の文壇の傾向が、まさしくそれであることを虞《おそ》れている。文化の吸収や文献の研究がわれらの最要の仕事でなく、材料と養分とを供給する補助的なものであるのはいうまでもない。われらの本質の成長の原動力はもっと奥深いところにある。私はこれらのものがその原動力を活発ならしむことに役立たずして、むしろこれを萎微せしむる結果をきたすことを虞《おそ》れる。思索家が読書するときでなくては考えなくなることを虞れる。知識欲なくして、知識を求むる、世に最も憐れむべき餓鬼《がき》のごとき読書家の殖《ふ》えることを虞れる。それを読んでも心の富まされることを信ぜず、また十分理解もできない書物を、いらいらした焦躁[#「焦躁」はママ]をもって、電車のなかでさえも読まねばならぬ必要がどこにあるのだろう。散歩するときさえも書物を携えずにいられないような人から、本当の思想が生まれてくるとは私には思えない。私は今の文士にもっと自分の体験でものを考え、自分の言葉でものを語ることを希望せずにはいられない。ことに宗教を文化として研究する人々には私は賛成することができない。まだ信心決定していない人が、信心を文化として研究し得る心事を私は理解することができない。かかる人から私は真実信心について何事をも聴こうとは思わない。
 一、文士は自分の衣食の方法を常に気にかけていたいものである。いな、いなければならない。人間はいかなる方法でパンを得るが最も正しいのであろうか。世襲の財産によって衣食するのはそのままでは(もっと他の深い心持ちにならなくては)間違いだろう。商業を営むのも、何かの職業につくのもおそらくそのままでは正しくあるまい。原稿料で衣食するのもそのままでは正しくないかもしれない。(死んだ綱島梁川《つなしまりょうせん》氏は死ぬまでそれを気にかけていたそうだ)。その点については西田天香氏はじつに深い実践的研究をしている。氏は釈迦や耶蘇の選んだ方法のみ正しいパンの得方だという。氏はそれを仏飯を食うて生きるという。神に養われて生きる。パンを神にデペンドする方法のみ正しいという。真の乞食、托鉢の方法のみ正しいという。(釈迦と耶蘇はそれを実行した)。私が今これをいうのは早すぎる。(私は世襲財産で生活している。しかも病気ばかりして他人に重荷を負わしている)。しかし私はこれを非常に重大な問題と思っている。そして今の文壇のある派の人々にはことに重大だと思っている。釈迦は王子であった。耶蘇は貧しかった。しかしどちらも尊いという人がある。しかし釈迦は王位を捨てて托鉢したのである。華族に生まれたのはしかたがない。しかしその位を捨てないのは正しいかどうか。富んでるということは、善くも、悪くも無いことではなく、それ自身悪いことである(もし愛を善しと見るならば)。何ゆえその財を貧しいものに頒《わか》たないのか。耶蘇は「二枚の衣あらば一枚を隣人に割け」といった。自分はそれだけの愛がまだ無いのを恥じるというのはいい。しかし罪の意識なくして富んでいるのは愛を説く人には矛盾である。私は富める文士たちとともに、この問題を一生の問題として躬《み》をもって研究したい。きっとそこにごまかしの利《き》かない、したがって真の神への信頼を生み得る宗教的意識が蔵されているに相違ない。西田氏などは聖書のうちから、この問題について深い深い真理を汲み取っている。(この問題については他日詳しく書きたい)。ここでは文壇がこの問題に重大な関心を持つことを希望するに止めておく。今の私がこれをいうのは気がひける。しかし私は気にかけずにはいられない。学校の教師をするのも、原稿料
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