るのはやむをえないことかもしれない。しかし悪いことである。遊蕩や姦淫を当然のことのごとくに行ない、それを芸術の資料(かかる作品にかぎって倫理的苦悶などは重要な要素を成してはいない)にし、それで衣食するのは恥辱である。かかる芸術家を世間が軽蔑するのはやむをえない。文壇に出る多くの告白的作品なども私は告白者に同情できるのは稀《まれ》である。裁判所に訴訟を起こすということは芸術家としてはそれ自身恥辱である。まして自分の妻と法廷で争うことは恥辱である。しかも金銭問題で。自分らの不幸を、それが真面目な原因であればあるほど、自分らの平常軽蔑している法官に裁いて貰うのは恥辱である。それがやむをえないことであっても、それを恥じる気色もなく告白するとは何事か。かかることに関しては私らの前にキリストの高い高い標準が置かれてあるではないか。たといそれを実行できなくても、比べて恥じることは誰にでもできる。私は一般に今の文士が周囲の平和を乱すことを恐るる心に乏しいのを非難したい。因襲や伝説の虚偽と不合理に対して戦わなければならないのはもはや自明のことである。私のいうのはもっと微妙な心持ちである。他人の心の平和を守ってやる愛のことである。われわれが「地を嗣ぐことを得」るために必要なる「和らぎを求むる」心である。「刃を出さんために出で」たる勇猛なる耶蘇がわれわれに垂れたる教えの一つである。たとい自分の主張が正しくとも、それが周囲の平和(たとい姑息なものであっても)を破るときには、それを恐れて、できるかぎり風波を立てまいとする心である。もし耶蘇にこの心使いが無かったならば、そのエルサレムの宮におけるがごとき行動は粗暴といってもいいものである。できるかぎりは平和な、目立たぬ、他人の胸をドキドキさせないような方法を選ぶことは改革者の欠くべからざる用意である。好んで風波を立て、目立つ行動をなすのは心なき業《わざ》である。この用意の欠乏は多くの文士の対人態度においてことに不幸な結果となって現われる。他人の心をできるかぎり傷つけないようにとの心使いを欠いた対談はただちに議論になる。その結果は多くの場合互いの心を堅くし、憎しみを育てることに終わる。一方が忍耐するときには、その心は深く傷つく。たとえばここに一人の母親がいるとする。そして話のついでに「私の娘は村でいちばん綺麗なんですよ。そして学校でもいつでも、二、三番よりは下らないんですよ」といったとする。するとすぐに反感と軽蔑とを起こして、そんなことは誇るに足りないとか、何ゆえ一番を理想としないかといって母親の心を傷つけてしまう。母親の思想はつまらないかもしれない。しかし「それはおたのしみですね」といって、しばらく母親の心を守ってやることは、けっして「おざなり」ではない。人と人との接触の幸福はそういうところにあるのである。また対談中対手の欠点に触れたとき、その人はすでにそれを認めて恥じているのになお突っ込むのは心なき業である。私は今の文士の多くが強いことだと思っているこの突っ込み[#「突っ込み」に傍点]をいっこう強いという感じを受けずにオフェンシブな、もしくは不必要な感じを受ける場合があまりに多い。私には感じやすい、きわめて傷つきやすい、純潔な心を持ってる友人がある。その友をもし今の文士たちと一座させたらどんな結果になるだろうと私はときどき想像する。きっとすぐに傷つけられるだろうと思わずにはいられない。そしてその友が隠遁して、静かに書を読み、絵を画いている今の生活法を、もっともだと思わずにはいられなくなる。彼らにもし自分の弱いところを見せるならば、すぐに突っ込んでくる。醜いところを見せればすぐに軽蔑する。謙遜に出ればすぐに高く出てくる。そしておのれと彼といずれが優越しているかというようなことに、絶えず特殊な執拗な興味を抱いている。かかる人と対談して交わりからくる幸福を味わい得るであろうか。ロマンチックなことをいったり、訴えるような気になれたり、無邪気な誇りや、甘えをさえも受けいれたりし合ってこそ、交友の幸福はある。私はだんだんかかる交友の幸福を失ってゆく。本当にしみじみと語り合うことは稀である。他人の心を受け取る用意のできている対談者に出逢わない。一般に受け身の徳に関して文士は貧にして粗である。私はその原因を彼らの心の濡れていないことに帰したい。何ゆえに心が濡れないか。彼らは魂の内に不幸を持っていないからである。かかる魂の不幸は外的境遇のいかなる順調をもってしても打ち克ちがたきものとして、深人は皆それを胸中に蔵している。かかる 〔seelenunglu:cklichkeit〕 は人間が、真に人間として願うべきねがいが満たされない地上の運命を感ずるところから起こる。それが感じられないのは本当におのれの願うべきものを、一すじ
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