。一度その取り消しをすることを私の義務と感ずる。私は人々が熟知しながら醜いことを明るみに持ち来たすことを好まない清い心から沈黙していることを愚かにあばいたのであろうか。もしそうだったら私は赤面する。しかし私はどうしてもそう思えないのでやむをえず不愉快を忍んで書いたのである。私はけっして醜いことをできるだけリザーヴして表現することの美しい徳であることを知らないものではない。醜いことはたといこれを否定的に語る場合といえども読者の心に悪の陰を翳すものである。清い人はきっとそれを好まぬに違いない。しかし上述のごとき目的をもって書く以上私はそれを避けることができなかったのである。私はもっと天的な感じのする文章のみが書きたい。その意味においてこの一文を草さなければならなかったことを私は一つの不幸と感じている。
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文壇への批難
批難といっては私の心持ちにしっくり[#「しっくり」に傍点]しない。私はいま調和を求むる願いにみちているから。しかしいま私は私の心の底にある一種の怒りの感じ(それを私はけっしていいものとして自分に許してはいないが)に処を与うるために、あえて批難としておこう。私の心はいま訪問者によって傷つけられて、淋しい。そしてかかる心なき対人態度を当然のこととして流行せしむるにいたった責を私は文壇に嫁《か》したい気がしている。それが動機となって私はこの文を書いている。私はいま熱が出ている。私はからだ具合が苦しいから大切なことをさっさ[#「さっさ」に傍点]と書く。短く、一生懸命に。第一に文士はもっと文壇を離れてものを書くべきである。考うべきである。その意向も、思索も、情熱も――何よりも大切な心の願いも、もはやけっして文壇という観念をはなれることはできなくなるとき文士は堕落している。「文壇的、あまりに文壇的」という気がする。私は文壇というものに食いついているような作家、ことに批評家を嫌うものである。いったい文壇というようなものは芸術となんら本質的関係のないものである。生産物と市場とのごとき関係さえも成立しないのである。作る人は売ることを目的とせず、いな、自分の書くものの発表に関する意識――文壇的成心から独立して、純粋な表出的衝動から製作すべきであるのはいうまでもない。それを発表しようと、しまいとそれは別事である。かくてつくり上げられたる作品はおのずから[#「おのずから」に傍点]他の共存者の心へと道を求むるのである。その間に何の文壇というような意識の插し入る隙間があろう。しかしこの頃は文壇というものを予想しなくては存在し得ないような文章が多い。批評家にはことにそれが多い。日本でも真面目な部類の批評家ほどその書くものは文壇的でない。文壇に食いついてるような批評家ほど軽薄な文章を書く。悪いことには地方の青年などはまず文壇という空気に触れる。その後に初めて芸術そのものに触れる。だから文壇的なものを書く人の名はすぐに現われる。そしてここに文士というものがつくられるわけになる。そして芸術そのものは、その芸術の原動たる作者の日々の体験は、深く隠れてしまうことになる。ここに著しい矛盾は、たとえば一人の真面目な暮らし方[#「暮らし方」に傍点]をしている作家があるとする。その人は心のある深い煩悶《はんもん》から作ができなかったとする。このときにはその人は他ののべつ[#「のべつ」に傍点]に作を発表している作家より、はるかに切な、深い生き方をしているのに、文壇的には何の勲《てがら》もなかったことになる。文壇は書いた人のことはいっても書かなかった人のことはいわないから。実際文壇というものがあるために、いかほど軽い空気が醸《かも》し出されるかしれない。それがいかほど芸術を毒し、何よりも大切な、生活そのものを浮き足にさすかしれないのである。だから「浮き足」というものと全然相いれない愛の問題、その愛の要求する、十字架を負うべき実行生活になると、文士は貧弱と虚偽とを露出する。いかに立派な文章が書いてあっても、不幸な人、貧しい人、病める人、心の傷ついてる人――すなわち真に愛を求めている人が読めばすぐにその虚偽であることが解《わか》る。空言であることが解る。本当に愛してはくれないのだということが解る。私はそんな文章をいくら読まされたろう。実際文壇的空気にはずいぶん嫌なところがある。自分が不幸な不幸な気持ちにしおたれた[#「しおたれた」に傍点]ようになっているとき、そんな文章を読むと一種の立腹さえも感ずる。みんな道草をくってるような気がする。浮き足になってるような気がする。もっと大切な、われわれに真に必要な問題にハンブルに実践的に立ち向こうて、しみじみした、無駄のない、よく胸に応える論議が聞きたい。じつに今の文士の生活ほど古えの聖
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