Bそしてもはやあなたの心の芽の発育に干渉することは避けた方がいいと思うようになりました。神様はあなたの心をどのような仕方で育てたもうご計画かわかりません。もしあなたの心に恋が生じたことが聖旨であるならば、それを私が萎《しぼ》ませようとすることは不謙遜でしょう。人間の純なやさしい心の芽を乾らばしてはなりません。第一私はあなたの髪の毛一すじでも黒くしあるいは白くする力はない。あなたを見ていればあぶなっかしい気はする。けれど私が守ってあげなければあなたが亡びるかのように思うのは私の傲慢でしょう。あなたは神様を信じていつも熱心に祈っていらっしゃる。私はあなたを神様の手に渡すべきです。私は間違っていました。けれど悪く思ってくださいますな。私のしたことは私の知恵の足らないためです。あなたは私にかまわずあなたの感情の発育を自由にのばしていってください。向日葵《ひまわり》が日の光の方に延びて成長してゆくように、神様のめぐみの導きの方へむかってお進みなさい。私はあなたの愛をもみ消そうとはもはやいたしません。それはあなたのものです。そのなかにあなたが尊いいのち[#「いのち」に傍点]を感じなさいますならば、それはあなたの宝です。私はそれに干渉するのは傲慢でしょう。けれど思えば私は自信がなさすぎます。私は自分の清くない、徳の足りないことを思うときには、むしろあなたを神様に任して、私はあなたに別れてしまおうかと思うことも一度や二度ではないのです。けれど一度運命が触れ合うてこれほどの交わりになったものをアーチフィシアルに蹂躙《じゅうりん》するのは最も悪いことと思われます。一度触れ合うた人間と人間とはたといいかに嫌い合っても、絶交してはならないとさえ常に思っているのです。私はあなたにそのように思われるのはいやどころではありません。感謝と涙とです。私も私の心のなかに頭をもたげる心の芽をいたずらにみずから蹂躙するいわれもないのです。純な、人間らしい善い芽はのばさなければなりません。あなたに卑しいことを知らせずにすませるために私はあなたをずるい男の手に渡さずに、私のそばに置きたい気さえ起こることもときどきあるのです。知らないうちはともかくも、純な美しいものがみすみす荒くれ男にふみにじられるのを見のがすことは堪えがたい苦痛です。
 けれどいかなる場合でも私たちは神様を畏れなければなりません。それには二種ありましょう。一つは自分の発情を慎むこと。も一つはみずからをわざと殺さぬこと。神様の私たちの心のなかに生まれしめたまいし若芽をわれとわが手で摘み取らぬこと。私はそれを侵しかけているのでした。それからもう一度だけあなたに明らかにしておかねばならないことがあります。それはあなたと私との間に恋が生まれるのは、神様の聖旨であるかどうかはまだたしかでありませんということです。しかしもしや神様があなたと、私とを繋《つな》いでくださるのだったらどうでしょう。それを思うとけっして別れる気にはなりません。ではどうしたらいいのでしょう。私の考えではあなたと私とはやはりこれまでどおりに交わりをつづけてゆくべきでしょう。そして前にいった二つの意味で神様を畏れつつ運命の赴くところに任せてゆきましょう。何よりも発情に溺れずに、けれどけっしていたずらに自分に背かずに。もし聖旨ならば二人の運命はしだいに切迫してゆくでしょう。そしてその内面的の必然性が神の聖旨を証するほど熱してきたときに私たちは喜んで結婚しましょう。もし聖旨でないならば二人の交わりはそれとは違った性質のものになるでしょう。そしてほんとの善いお友達になれるかもしれません。先きのことはなかなか解るものではありません。あなたは私のいうことを心細く頼りなく感じなさいますか?
 けれども私たちに許されていることは「神様聖旨ならば二人を繋いでください」と祈ることだけです。けれどもそこに祈祷の微妙な力があるのではありますまいか。すなわち力ある祈りはエホバの御座を揺がすという言葉もあるように私たちは祈りによって、聖旨を呼び醒ますことができるのではありますまいか。祈りが熟したときに聖旨が生まれるのではありますまいか。祈りが聴かれるとはその間の消息を伝えた言葉でありましょう。もしも二人の愛が真に切実にして、深純なるものならば、エホバがそれを善しと見て祝福して許してくださるのではありますまいか。尊い恋は運命的の恋です。運命を呼びさますものは熱き祈祷です。祈祷は最深の実践的精神のあらわれです。
 清い、美しいお絹さん。祈りましょう。祈りましょう。私は希望を認めたような気がして今夜は心が躍ります。神さまに任して安らかに眠ってください。あなたははたらくこともよして、考え込んでばかりいらっしゃるという言葉は私を不安にします。病人は大切にしてやらなければなりません
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