Mずることができません。あなたの美しい玉のごとき運命を私ゆえに傷つけさせてはなりません。私はどうせ永くは生きられない病身ものです。もし病気が伝染したらどうしましょう。そして私はかいしょ[#「かいしょ」に傍点]はなし、安らかな暮らし方のできる身分でもありません。あなたの考えていらっしゃるようなことはとても実行できる見込みはありません。あなたは私を憐《あわ》れみ愛してください。
私はそれで満足です。それにあなたにこのようなことをいわれると私は苦痛です。もはや私のかなわぬこととあきらめていた運命が私の目の前に再び媚《こ》び戯れようとして、私はそれを打ち払うのに不安になります。私の忘れたい悲哀が蘇ってまいります。どうぞ後生ですからよしてください。そして安らかに、潤うた交わりをいつまで続けよう[#「いつまで続けよう」はママ]ではありませんか。その方がかえって善いコンスタントな、魂の騒がない、静平な交際ができます。あのいつもいう聖フランシスと、聖クララとのように清らかな交わりを一生の間続けたらどんなに幸福でいさぎよいでしょう。アシシの静かな森のなかで太陽は恵むがごとく照らす木のかげで、二人は神様に祈りつつ清く交わり、フランシスはクララの手に抱かれて死にました。あなたも私も悪魔に乗じられてはなりません。祈りましょう。二人の心の純潔と平和とがいつまでも失われませぬように!
どうぞ今夜は安らかにお眠りなさい。
二
お絹さん、どうぞ何よりも心を安らかにしてください。私はあなたをこのようにも愛しているのですから。それは世の中の恋する男の単なるエンジューシアズムよりもずっと深い愛です。あなたがそのように心をみだしてお苦しみなすっては私はどうしたらいいのでしょう。あなたを失望させないために、私はどのようなことをしてもいいと思っているのです。
ただただ神様は畏れねばなりません。私はただそれをいうのです。聖旨を待って謙遜な心を失ってくださるな。運命に甘えるものは必ず刑罪に報いられます。聡明《そうめい》なるお絹さん! 私の申すこの思想があなたに解《わか》らないはずはありません。私がなんであなたを嫌いましょう。あなたと私との間には素質と素質との好き合う力があるようです。二人の魂のなかの善い部分をお互いに発見することができます。私は心からあなたが好きです。また私があなたの身分と、私の身分との社会上の相違を気にかけていでもするかのように、あなたはあのようなことをおっしゃるのはどうしたものでしょう。
私が一度でもそのような気持ちの影をでもあらわしたことがありますか? 私はあなたがお米を磨《と》いだり、着物を洗濯《せんたく》したりなさるのをまことにかいがいしく美しく感じています。そのようなことを気にかけてはいけません。私は働くことと愛することとを結びつけて考えます。純な、健康な、よく働く愛らしいお絹さん。あなたはまことに純潔で美しいです。複雑な荒《すさ》んだ人々の間にばかりくらしてきた私にはあなたが神の使のようにさえ見えます。あなたはそのままで清らかで完全です。もしこの世が天国のようなところなら、あなたは栄えを受くべきです。けれどもこの世では、あなたは蛇《へび》のごとき慧《さ》かしさのかけているために、私にはあぶなっかしく見えます。そしてそれゆえに私はますますあなたを傷つけてはなりません。あなたから初めてあのような手紙をもらったとき、私は心の奥に強い誘惑を感じました。(あなたは恐ろしいとは思いませんか。すべての男にはそのようなところがあるのです)。あなたを傷つけることはたやすいことです。私はけれど神の子です。今日まであなたにほしいままな表現をせずに神様を畏れてまいりました。あなたを重んじ、この後もそれを続けなくてはなりません。あなたが冷淡を感じるのは私がかえってあなたを愛しているからです。あなたは今はそれがわからないのです。お絹さん。私はあなたに知恵をつけることはじつは好まないのです。悪に対して備えるためにばかり必要な知恵を得ることはむしろやむをえないかなしいことです。私は信じる人に、信じるなとすすめるようなものです。あなたはほんとに今のままで善いのです。この世が悪いからしかたがないのです。けれどあなたはどうせ知らなければならないことは、知らなければならないのです。
顔の赤くなるほど羞《はず》かしいことや、また生きていることがいやになるほど卑しいことや、まだまださまざまの Evil を!
おお神様があなたをお守りくださいますように! けれど私は深く考えなければなりません。あなたのお手紙のお言葉は強く私の胸に響きました。私ははげしく省みさせられました。私にはそのような癖があるのです。説教したがる癖が。私は神様に祈っていろいろ考えてみました
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