ゥ》って意志を貫こうとするときに、祈りの心持ちとなるのである。ゆえに、その心持ちは、しばしばたたかいの心持ちと酷似している。キリストのごとき宗教的天才においては、その愛は常にたたかいの相を呈している。そしてその闘いは、祈りによって義《ただ》しくされている。けだし、私たちは愛を実現しようと思えば、必ず真理の問題に触れてくる。深く考えてみれば、愛とは他人をして人間としての真理に従わしめようとすることのほかにはない。ゆえに愛を実行せんとするときには、自己にとって真理なることは、他人にとっても真理であるとの信仰が必要である。真理を個性のなかに限定し、その普遍性を絶対に否定する人は、他人に愛を実行する地盤はない。「われかく信ず、ゆえに他人もしか信ぜざるべからず」との信念ある範囲においてのみ、他人に働きかけることができる。愛には人間としての当為が要る。宗教的天才はその Sollen を握れるがゆえに、堂々と愛を働きかけることができたのである。私は西田氏のごとく個性とは普遍性《ダス・アルゲマイネ》の限定せられたるものと考えたい。すなわち、個性の多様性は認めつつ、その後ろに人間としての普遍的真理の存在を容《ゆる》したい。この信仰なくしては、私たちは相互に繋り合うことはできない。事実においては、人間はいかに懐疑的なる人といえども、ある範囲においてこの普遍性を容して、他人に対して働きかけているのである。著しくいわば、真に徹底せる愛は、真理をしいることである。マホメットが剣をもって信じさせようとした心持ちには、愛の或る真理が含まれている。日蓮も愛のために、親にそむき、師にそむき、異宗と闘った。彼は『法華経』を信じなければ、親も師もことごとく地獄に堕《お》つると信じたからである。私は聖書などの思想に養われて謙遜と赦《ゆる》しを学んでから、他人をあるがままにいれてその非を責めないようになりだした。初めは「私は愛がないのだから責める資格はない」と、自省して沈黙するようにしていたが、後には表面の交友を円滑にし、うるさい交渉を避ける自愛的な動機から、他人の軽薄、怠慢をも責めずに済ますようになりだした。かくなれば、他人に働きかけないことは一つの誘惑になる。愛するならば責めねばならない。それは赦《ゆる》さぬのとは違う。他人がいかなる悪事をなしても、それは赦さねばならない。しかしいかなる小さな罪も責めねばならない。宗教はこの二つの性質を兼ね備えたものである。キリストはいかなる罪をも赦した。しかし罪の価は死なりといった。罪の裁判はできるかぎり重くなくてはならない。そしてその重き罪は全く赦されねばならない。甲が乙を撲《なぐ》ったとする。このとき、そのくらいのことは小さなことだとして赦してはならない。人間が人間を撲ることはけっして小さなことではない。それは地獄に当たる罪である。しかしその大罪を全的に赦すのである。阿部氏は「私は人を愛したい。けれど憎むに堪える心でありたい」といってる。私もしか感ずる。もし私が私を愛するがごとく他人を愛しているならば、私みずからを憎むがごとくに他人を憎み得るであろう。愛は闘いを含み得る。純粋なる愛の動機より、他人と闘うことができるようになるならば、その愛はよほど徹した内容を持っている。
現に宗教的天才はかかる闘いをなしている。キリストも、エルサレムの宮で鳩《はと》を売るもののつくえを倒し、繩《なわ》の鞭を持って商人を追放した。私は初めは、キリストのこの行為を善しと見ることができなかった。それは愛と赦《ゆる》しとの教えに適《かな》わないと思われたからである。しかし私はこの頃は、愛しつつ赦しつつ、かく為《な》すことができると思うようになりだした。おのれを釘づけるものを赦したキリストに、この商人が赦されないとは考えられない。愛はたたかいを含み得る強いものであってさしつかえはない。ただ私はそのたたかいが、他の一面において祈りの心持ちによって義《ただ》しくされることをねがう。
けだし、私たちはゾルレンを掴《つか》むことにおいて自信のない愚人である。たたかいが愛のみの動機より発することのできかねるエゴイストである。他人の運命を思えば黙《もだ》しがたく、しかも働きかけることが、他人を益するとの自信を握りかぬる弱者である。「どうぞこの人を傷つけませぬように!」と祈る心持ちなくして、安んじて働きかけることはできかねるからである。たたかいと祈りとは、愛の二つの機能である。愛が実践的になるとき、必然に生み出される二つの姉妹感情である。そして相互を義しくする。哲学的絶対を求めて後に愛そうとするならば、私たちは祈ることも、戦うこともできない立往生になる。けれど、私は真理はだんだんに知られてゆくものと思う。もし愛のなかに実感的な善を体験して、それに圧されて愛しなが
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