轣Aしだいに真理を体得してゆこうとするならば、私たちはたたかいと祈りの心持ちのなかに入って行くであろう。そしてそれは、私にとっては、ようやく明らかになりゆく真理の姿である。
[#地から2字上げ](一九一五、冬)
[#改ページ]
過失
――お絹さんへの手紙――
一
私は昨日の朝ガーゼ交換が終わって、激しい苦痛の去ったあとのやや安らかな、けれど、いつもの悲しい心地にとざされて、寝台の上にやすんでいました。
そのときあなたの手紙がとどきました。私は不思議にもそれを読んで驚きませんでした。私の恐れているものがついにきたと思いました。
そして私は心の奥でひそかにそれを待ち設けていたのではあるまいかと、思うときに、畏《おそ》ろしいような心地がいたしました。お絹さん私はあなたよりも分別があります。それは私が悲しい経験から得たありがたい分別です。あなたの心はよく解《わか》ります。けれどもあなたの手紙を読んだとき、私の胸の底には彼女の運命を傷つけてはならない。と叫ぶ強い声がありました。男というものはずるい[#「ずるい」に傍点]ものです。ことに女にかけてはね。私は清い人間ではありません。私は清かったのです。けれど女に欺《だま》されてから、いつしか女に対する心の清さを失いました。そして Dirne のような女を見ると、私はずるい男心を呼び起こされます。そしてそれを当然のことと思うように馴《な》らされそうですから、私は厳しく自分を叱《しか》りつけているのです。
けれどあなたのような純な、まじめな、女らしい人にあえば、私の心の底の善い素質が呼び醒《さ》まされます。そうです! 私は気を注《つ》けねばなりません。あなたはどう思ってくださいます? 私はこのような手紙を書かせるようにあなたにしむけたのでしょうか。私はそうしてはならないと、いつもいつも思っていました。
けれど私は神様が私を罪ありとなさっても争おうとは思いません。私は判断がつきかねます。もし私が悪いことをしたのなら、神様に赦《ゆる》しを乞わねばなりません。フランシスさんがあなたを見舞いに遣わしてくだすって、あなたとちかづきになってから、私はたしかに慰められました。そのときまで百余日の長い間、私はじつに侘《わび》しい、淋しい日を送っていたのでした。私は孤独というものを人間の純なる願いとは思いません。私は私の側に私の魂の愛する力が働きかけうる人を持たないときは不幸を感じます。私は愛したい、そして求むるものには私の持っているよき物を惜しまずに与えようと、常に用意しているのに、誰も一人として、私に求め訴えに来るものがありません。聖書のなかにも「童子|街《まち》に立ちて笛吹けども、人躍らず、悲歌すれども人和せず」と書いてあります。これは私にとってどんなに淋しいことであったでしょう。私は歩けないのですから他の室に友を求めることはできません。
そして十数人もいる若い看護婦たちはなんという冷淡な、proffesional な人々でしょう。私はときどきに泣きたいような気がしました。三度も手術を受けて、そしてまだいつ療《なお》る見込みもつかない。私は怺《こら》えるには怺えます。けれども悲しいのはかなしい。
私はドストエフスキー(私がよく話すあのロシアの小説家)の『死人の家』など読んでは心からこの不幸な人の淋しい孤独な生活に共鳴して、自分も泣いていました。
そのときあなたが天の使のように私のベッドの側に来てくれました。あなたが後でおっしゃったように、私のいうことはあなたに吸い込まれるように、スラスラと理解されるように私にも思われました。私はあなたの魂のなかに善良な高尚な思想に感動することができる知恵と徳の芽を見いだしました。そしてあなたが学問が乏しいために(失礼ですけれど)それはかえって純な、ありのままの、素質的のものとして私には感ぜられました。
そしてあなたは私のひそかに恃《たの》んでいる尊い部分に触れてくれました。私はまことに嬉しゅうございました。そして私のベッドの側にじっと坐《すわ》って注意深い耳を傾けているあなたに私の信ずる最も高き善き思想をできるだけ単純な、清い言葉で話しているときに、私はときとして私を善い人間であるかのように、まれには聖者であるかのように感ずることさえありました。
私はあなたの熱心な祈りをきき、賛美歌を共にうたいました。これまで永い間私はあまり荒々しい人々のなかにのみ棲《す》みすぎたように思っていましたが、あなたと逢《あ》って私は鳩《はと》のような、小鳥のような――それは私の心にながくとざされていたところのやさしい情緒をふるさとのおとずれでも聞くように思い出しました。それほどあなたは純な人でした。ドストエフスキーは、「もしも鳩が私たちの顔をさ
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