要求する。第五に私が最も懸念するのはこの作が人を躓《つまず》かせはしまいかということである。人の精進を鈍くするようなことはないかということである(よく見て貰えばそういうことはないと思うが)。これはけっして私が努力や精進を重んじないからではない。私のモチーフがそこにないためである。私は真実の意味において戒律を生かしたいと思っているものである。その点では私は西田天香氏を中心とした一燈園の生活を尊敬し、病気のせいとはいいながら、今の私の暮らし方を恥ずかしく思っているものである。また天香氏があの作を愛してくだされながらも不満足に思われる理由も私にはよく解っている。あの作が現実の紛糾を解決する力がない、凄いところが無いといわれるのも肯かれる。それは私のあの作のモチーフが問題を(恋愛の問題)さえも解決する点になかったからであることは前にもいったとおりであるが、たとい私の目的が問題の解決にあるとしても私があの作を書いたときにはむろんのこと、現在においてもその成案は持ってないことをここに告白する。しかし私はその問題の解決に興味を感じないのではない。それは私の絶え間のない努力である。その点は現在および将来の問題として私の前に厳に横たわっているのである。私がもしその点に重大なる関心を持っていないならば、あの作と一燈園との縁はないといってもよい。むしろ一燈園の生活の躓きとなるばかりである。一燈園がこのたびの上演の主催者になってくださったということは私の名誉と思いまた私の青年期の懐しい思い出を甦らせて本当に私にとって嬉しいことであるが、それよりもなお意味あることはあの作に盛られていないで残っている、しかしわれわれの人間として必ず関心しなければならないこの世の実際問題の合理的解決についての努力を一燈園が中心の問題として取り扱っていることである。私はその方面についての努力を人々がゆるがせにするようにあの作が働きかけることを何より心配しているのであるから。あの作の上演が縁となって人々が一燈園の生活に注意するようになるのを望まざるを得ない。この世の相をあるがままに愛する心と、この世を改良して神の国と成そうとする努力とは私は二つともなくてならぬものであり、また相互に矛盾するものではなく、むしろ相互を義《ただ》しくするものであると思っている。私が一燈園や新しき村の仕事を尊敬し、できるだけ助けたいと思う
前へ 次へ
全197ページ中189ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング