o験したるにもかかわらず、それは私をして白眼世に拗《す》ねるがごとき孤独に向かわしめなかった。私はかえって人と人との接触の核実の愛でなくてはならないことを感じた。私の愛を深めることによって他人と一歩接近した。私は切に与うるの愛を主張したい。愛は欠けたるものの求むる心ではなく、溢《あふ》るるものの包む感情である。人は愛せらるることを求めずして愛すべきである。人に求むる生活ほど危いものはない。その人がやがて自ら足りたるときわが側を離れ去るとも、その人のために祈る覚悟なくして愛するは初めより誤謬である。愛は独立自全なる人格の要求でなくてはならない。人は強くなり、完成するに従って愛せんとする要求が起こるのではあるまいか。ツァラツストラが日輪を仰いで「汝大なる星よ、汝が照らすものなくば何の幸福かあらん」と言ったごとく、偉大なるものは愛することによって自己を減損せずしてかえって自己を完成するのであろう。ニイチェが「与うるの徳」を説き、また「夜の歌」の冒頭において、

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夜は来たれり、今すべての迸《ほとばし》る泉はその声を高む。
わが魂もまた迸る泉なり。
夜は来たれり、今愛するもののすべての歌は始めて目醒む。
わが魂もまた愛するものの歌なり。
[#ここで字下げ終わり]

 と歌っているように偉大なる者、完成せるものにはみずから愛せんとする要求があると思う。私はかかる境地に向かって憧れ進みたい。
 花やかな幻の世界は永久に私の前に閉ざされた。私はもっと強実なる人生を欲する。代赭色《たいしゃいろ》の山坂にシャベルを揮う労働者や、雨に濡れて行く兵隊や、灰色の海のあなたに音なく燃焼して沈む太陽を見るときに、まだ私に残された強実な人生の閃《ひら》めきに触れて心がおどる。私はこの一文をして「愛と認識との出発」たらしめたい。偉大なる愛よ、わが胸に宿れ、大自然の真景よ、わが瞳に映れかし。願わくばわが精霊の力の尽きざるうちに、肉体の滅亡せざらんことを。
[#地から2字上げ](一九一三・一一・二五)
[#改ページ]

 隣人としての愛

 人と人との接触に関心する人々の心にあって最も重き地位を占むるものはいうまでもなく愛の問題である。愛は初め花やかなる一団の霞のごとくに、たのしく、胸をおどらす魅力を備えて私らの前に現われる。愛を凝視せよ、愛を生きよ、そのとき私たちは初めて愛の種
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