烽サの例に漏《も》れず狭くして、固定せる常識的のものである。
 善人になることはあなたの思ってるように容易なものではない。あなたは善人とならんとする意志さえあれば善人になれるように思ってるが、そんなに単純なことではない。なろうと思ってもなれない人がある。どうしていいか解らない人もある。また善人でなければ悪人というように明瞭に区別できるものではない。あなたは懐疑とか彷徨とかいう近代人のきわめて普通な生活をいっさい認められないように見える。あなたのように素朴に単純に神を信仰できる人はこの上はない。鮮やかな善の観念が頭に浮かんで、迷惑することなく右か左か行為を決定できる人はいうことはない。しかし、かかる驚くべき幸福を享受し得る人はきわめて少ない。少なくとも私などには不可能なことである。

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 社会にはまだ道徳が発達しないんで善人が亡びて悪人が勝つような不合理なことがある。私はあくまで善人として進んでゆきたい。本校にも悪人が少数いるけれども、常に輿論がこれを導いて正しき道を離れないのは喜ばしきことである。しかしこの頃はだいぶ悪人がはびこってきたようであるが、まだまだ善人が圧倒されるようなことはない。本校に来て善良なる校風に感化されたのが多いけれど、なかには本校に来て堕落したものもある。たとえば本校に来てから酒を飲み始めたり、悪い場所へ平気で行くようになったものもある。本校三年の生活において得たところは非常に多いが、なかにも友情の美しいことを感じた。そして真友の二、三人もできたことは非常に嬉しいことである。ことに私は本校において生活の確信を得た。将来社会に出て戦うべき生活の自信を得たのは何より感謝するところである。
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 あなたはほぼこのような意味の演説をされた。あなたのこの演説は私になんらの手応えある響きを持たなかった。ただ私にはもどかしい感じを与えたのみであった。私は「もっと、もっと」と始終思って聞かねばならなかった。それよりも私は筒袖姿の、健康な、青年らしいあなたを美しいと思った。願わくはこの青年の口から深刻な、懐疑的な、ロシアの青年のいうような言葉を聞きたかった。でなければ黙って立たせておきたかった。聴衆の大部分は常識で生きて行く人である。その人らにとってはあなたのこの演説はしごくもっともな、普通な、むしろ平凡な演説であっ
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