ツいてある実例をあなたに示したい。私の友人はさんざん行き悩んだ末、芸術よりほかに私の行く道はないといって、学校も欠席して毎日下宿屋の二階に蟄居《ちっきょ》して一生懸命創作をした。そして二百枚も書いた。私はこの頃世に出る片々たる短篇小説などよりどれほど優れてるかしれないから、完成されて発表してはどうかといっていた。ところがある日私がその家を訪ねて続きを見せろといったらもう止《よ》したといって淋しそうな顔をした。それは惜しいではないか。あれほど熱心に書いたのに、どうしたのだと訊《き》いたら「君、私の生活にはちっとも威力がない! 創作したって何になろう」といって顔をしかめた。私はそのとき二人の間に漂うた涙のない、耗《す》り切れたような悲哀と、また理解と厳粛とをあなたに味わわせたいと思う。
あなたはどうしてもいま少し深く内省する必要がある。声があまり大きすぎる。自己の生活にもっと空虚と寂寞と分裂とを意識せねばならないはずである。ややもすれば公けの会合などで奔走されるのを少し控えて、淋しい深い孤独な思想をいつくしむことを心がけなくては、あなたの道徳性というものは軽い、浅いものとなりはしないであろうか。道徳が social に拡がって行くことはよほど危険なことである。道徳において sociality ということはもとより大切であろうけれど、それよりも Inwardness ということの方がいっそう重要でありかつ用意的なものである。道徳が不純になり、固形体になるのは主として social に堕するからではあるまいか。精醇な、流動的な、光を発するような道徳は必ず自己内面の最深処より、実在の熱に溶かされ、自然の匂いの生々しいままで吹き出されるものであって、それ自身個人的にしてかつ野性的なものである。
あなたの茶話会の演説は私の予期したごとくモラーリッシュなものであった。熱心な真面目な言葉があなたの口を突いてきた。私は謹聴した。けれども私は終わりまで聞くにはよほどもどかしさを忍ばねばならなかった。あなたが割れるような拍手の音に迎えられて席に復したとき、私は不平な魯鈍な気がした(あなたが魯鈍なのではない。事件が魯鈍なのである)。後にはただただ悲しかった。あなたはみずから善人をもって任じていられる。それはじつにいい。私も昨年校友会雑誌に「善人にならんとする意志」という論文を書きかけたこ
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