との有機的なる融着よ! 大きな鮮やかな宇宙の事実ではないか。その結果として新しき「生」が産出されるのかと思えば、胸がどきどきするほどたのもしい。まことに恋愛は肉の方面から見れば科学者のいうように「原形質の飢渇」であるかもしれない。細胞と細胞とが Sexual union に融合するときの「音楽的なる諧和」であるかもしれない。
 思えば私は長い間淋しい不安な荒んだ生活をしてきたのだ。それはあたかも霖雨のじめじめしい沼のような物懶《ものう》い生活が今日も今日もと続いたのだ。欠席、乱酒、彷徨、怠惰、病気、借金、これらのもののなかを転っていた私の生活はけっして明るいものではなかった。ぼんやりふところ手して迷児《まいご》のように毎日のように郊外をうろついたこともあった。酒精にたるんだ瞳に深夜の星の寒い光をしみこませて、電信柱を抱いて慟哭したこともあった。
 そんな私だもの、恋を放してどうしよう。私はとてもほかのことでは充実できそうにも思われないのだ。私はもうもうあんないやな生活は繰り返したくない。恋がだめなら、私ももうとても駄目だ。私は度胸を据えた。
 私はいま実際充実してる。歓喜にみちてる。私の衰弱した肉体の内部からも無限の勇気が湧いて出るのだ。湯のような喜びが生命の全面を浸している。生命が燃焼して熱と力と光とを蒸発する。私はいまさらながら高き天と広き地との間に心ゆくばかり拡がれる生命の充実を痛感する。ああ私は生きたい。生きたい。彼女を拉《らっ》して光のごとく、雲のごとく、獣のごとく、虫のごとくに生きたい。
 げに恋こそはまことのいのち[#「いのち」に傍点]である。私はこのいのち[#「いのち」に傍点]のために努力し、苦悩し、精進したい。すべてわれらの恋によきほどのものはことごとくこれを包容し、よからぬほどのものはことごとくこれと戦って征服しなければならない。
 私の今後の生涯はこの恋愛の進展的継続でありたい。私らが恋の甘さを味わう余裕もなく、山のごとき困難は目前に迫って私らを圧迫している。私らは悪戦苦闘を強迫された。ああ私は血まみれの一本道を想像せずにはいられない。その上を一目散に突進するのだ。力尽きればやむをえない。自滅するばかりだ。
[#地から2字上げ](二十二回の誕生日の夜)
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 自然児として生きよ
       ――Y君にあたう――

 私はまずあ
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