黷フ願望であった。私は法科に転じた。私は欲望の充足のために力が欲しいとしみじみ思った。力よ、力よと思った。ああ欲望と力! こう思って私は胸をおどらした。このとき愛と犠牲とは私にとって全く誤謬であった。それよりも人間自然の状態は万人が万人に敵たるの状態であるというホッブスの言葉が力強く心に響いた。Alles Leben Leiden というショウペンハウエルの言葉が耳元を去らなかった。
しかしながら私の思想がしだいにエゴイズムに傾くとき、私に最も直接な痛刻な苦悩を感じさせるものがあった。それは私の無二の友なるSというものの存在であった。私はいうが、私らは涙のこぼれるほど誠実なる友情を持っていた。二人は細かなる理解をもって骨組まれたる実在的なる友情を誇っていた。それに小さいときから机をならべていたという濃《こま》やかな思い出が、二人の間にいっそう離れがたき執着を繋《つな》いでいた。私はこの友の存在が確認したくてならなかった。実在的に肯定したくてならなかった。その魂の秘密に触れておののきたくてならなかった。生命と生命としっかり抱擁して顫えるほどの喜びにすすり泣きたくてならなかった。けれども私の思想はこの痛切なる願望を裏切らずにはおかなかった。私は泣く泣くも友の存在を影のごとく淡きものになさなければならなかった。二人の間に実在的な交渉を否認してただ関係的《エコノミカル》な交渉にしてしまわなければならなかった。これはじつに私には痛刻きわまりなき悲哀であり、苦痛であり、寂寞であり、涕涙《ているい》であった。私は苦しみ悶えた。私はその友に与えた手紙の一節を記憶している。
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わが友よ。御身と私との間には今や無辺際の空より垂れ下りたる薄き灰色の膜がある。私らはこの膜をへだてて互いの苦しげなる溜息を微かに聞く。また涙に曇る瞳と瞳とを見かわしながら、しかも相抱擁することができない。どうしてもできない。ああわれらはどうすればいいのだろう。
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けれどもその頃の私のインテレクチュアルな生き方ではとうてい友を捨てるほかはなかった。私は骨の抜けた、たましいのない空殻のような交渉を二人の間に残すに忍びなかったからである。
そのときの友の態度の誠実なのに私は敬服した。その心根のやさしさに私は涙ぐんだ。
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君は私と離れる
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