ネかった。
 今から考えればこの頃の私の生き方はたしかにインテレクチュアルにすぎていた。その思索の方法も情意を重んぜぬ概念的なもので必ずしも正しかったとは思わない。けれども自己の生活を「実在」の上に据え付けようという要求は形而上学的な私の唯一の生活的良心であった。私とてもただ充実して生きられさえすればよかったのである。けれども生きんがためにはそうしないではいられなかったのである。私は私の実際生活の上に落ちかかったこの大問題に貧しい稚《おさな》い思想をもって面接することを、どんなに心細くもおぼつかなくも思ったであろう。苦しんでも悶えてもいい考えは出なかった。先人の残した足跡を辿って、わずかに nachdenken するばかりで、みずから進んで vordenken することなどはできなかった。私はこんな貧しい頭を持ちながら考えなければ生きられない自分は何の因果だろうかと思った。私はとても適わぬと思った。けれども何事も生きんがためじゃないかと思うとき、私はじっとしてはいられなかった。私は子供心にも何か物を考えるような人になりたいと思って大きくなった。私は leben せんためには denken しなければならないと思った。
 生命と生命との接触の問題は宇宙における厳粛なる偉大なる事実である。私はこの問題に対して忠実でありたい。私はこの問題に対して曖昧な虚偽な態度はとりたくなかった。私は稚いながらも私の信ずる真理の道を進もうと思った。
 かくて極端なる利己主義者となった。それもショウペンハウエルの底気味悪き思想を潜りて出でたる戦闘的態度の利己主義であった。初めより生の悲痛と不調和とを覚悟して立ちたるデスペレートな利己主義であった。私は戦っておよそ Egoist の味わい得べきほどのものをことごとく味わい尽くして死にたいと思った。私はその頃の私の心の怪しげなる緊張を忘れることができない。私の生命は血の色に漲《みなぎ》っていた。ほしいままなる欲望にふくれていた。私は充たされざる性欲を抱いて獣のごとく街を徘徊しては、昔洛陽の街々に行なわれたる白昼の強姦のことを思った。魯鈍なる群衆の雑踏を見ては、私に一中隊の兵士があれば彼らを蹂躪《じゅうりん》することができるなどと思った。私の目の前をナポレオンと董卓《とうたく》と将門《まさかど》との顔が通っては消えた。強者になりたい。これが私の唯
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