sそびや》かすようにした。かくて生命の第一線に添うて勇ましくも徹底せる道を歩まんことをこころざした。このときほど自己の存在の強く意識されたことはなかった。
 しかしながら私らが一たび四辺を見まわすとき、私らは私らと同じく日光に浴し、空気を吸うて生きつつある草と木と虫と獣との存在に驚かされた。さらに私らとともに悩ましき生を営みつつある同胞(Mitmensch)の存在に驚かずにはいられなかった。じつに生命の底に侵徹して「自己」に目ざめたるものにとっては自己以外のものの生命的存在を発見することは、ゆゆしき驚きであり、大事であったに相違ない。かくて生命と生命との接触の問題が、魂と魂との交渉の意識が私らの内部生活に頭をもたげてくる。このときもしわれらの素質が freundlich であり、moralisch であればあるほど、この問題が重大に関心されるであろう。この問題をどうにかかた[#「かた」に傍点]をつけなければ、内部生活はほとんど新しき方面に進転することを妨げらるるであろう。この問題が内部動乱の中心に蟠《わだかま》り、苦悩の大部分を占めるであろう。私はいうが、私はこの対人関係について思索するに痩《や》せた。自己の生命を痛感した私が一たび自己以外のものの生命の存在に感触して以来、この問題は一日も私の頭を去らなかった。常に重苦しくもたれかかって私を圧迫した。私はこの問題を徹底的に解釈しなくては思い切った生き方はどうしてもできないと思った。私は力強い全人格的の態度がとれなかった。私の行動はすべて曖昧《あいまい》に、不鮮明であった。あらゆる行為が否定と肯定との間を動揺した。
 私はこの生温《なまぬる》き生き方が苦しくてならなかった。私は実際この問題をどうにかせねばならないと思った。
 私はこの生命と生命との交渉、魂と魂との接触は宇宙における厳粛なる偉大なる事実に相違ないと思った。この問題に奥深く底の底まで頭を突ッ込むとき、そこに必ず私らの全身を顫動《せんどう》せしめるほどの価値に触れることができるだろうと思った。
 その頃から私は哲学を私の生活から放さなかった。私は確乎として動かざるの上に私の生活を築きあげたいと思っていた。かくて私は哲学的に自他の生命の交渉、関係について考えてみなければならなかった。
 私は生きている。私はこれほど確かな事実はないと思った。自己の存在はただちに
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