た》に食い付いているように見えた。信州伊那の郡《こおり》[#ルビの「こおり」は底本では「こうり」]川路の郷なのである。西南へ下れば天龍峡となり、東北へ行けば、金森山と卯月山との大|渓谷《たに》へ出るという郷で、その二つの山の間から流れ出て、天龍川へ注ぐ法全寺川が、郷の南を駛《はし》っていた。川とは反対の方角、すなわち卯月山の山脈寄りに、目立って大きな屋敷が立っていた。高く石崖《いしがき》を積み重ねた上に、宏大な地域を占め、幾棟かの建物が立ってい、生垣や植込の緑が、それらの建物を包んでいるのであった。女の云った蔵というのは、それらの建物の中の一つであって、構内の北の外れに、ポツンと寂しそうに立っていた。白壁づくりではあったが、夕陽に照らされて、見る眼に痛いほど、鋭く黄金色に輝いていた。
 少年武士は、その蔵へ眼をやったが、
「何だか知っているかとは何じゃ、蔵は蔵じゃ」
「鸚鵡《おうむ》蔵よ」
「鸚鵡蔵? ふうん、鸚鵡蔵とは何じゃ?」
「お蔵の前へ行って、何々さーんと呼ぶんですの。するとお蔵が、何々さーんと答えてくれるでしょうよ」
「蔵が答える?」
「ええ、だから鸚鵡蔵……」
「馬鹿申せ」
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