もとどり》を掴み右の手の鬱金《うこん》の巾《きれ》で、その生首を洗っていた。
菊弥は、全身をワナワナと顫わせ、見まい見まいとしても、生首へ、わけても、女の洗っている生首へ眼を引かれ、物も云えず、坐っていた。
やがて女は顔を上げ、つくづくと菊弥を眺めたが、
「菊弥かえ」と云った。
「は、はい、菊弥でございます。……あ、あなた様は?」
「お前の姉だよ」
「お、お篠お姉様?」
「あい」
「お、お姉様! それは? その首は?」
「代首《かえくび》だよ」
「か、代首? 代首とは?」
「味方の大将が、敵に首を掻かれ、胴ばかりになった時、胴へ首を継いで葬るのが、戦国時代のこの土地の習慣だったそうな。……その首を代首といって、前もってこしらえて置いたものだそうだよ」
「まあ、では、その首は、本当の首ではないのでございますか?」
「本当の首ではないとも。木でこしらえ、胡粉《ごふん》を塗り、墨や紅で描き、生毛を植えて作った首形なのだよ」
「でも、お姉様、どうしてそんな首形が、いくつもいくつも、お家に?」
不幸な良人の話
「納谷家は、遠い昔から、この土地の武将として続いて来た、由緒のある家なのだよ。だから代首がたくさんあるのだよ」
「では、その代首の方々は?」
「ええ、みんな納谷家の武将方だったんだよ。でも、これらの方々は、幸い首も掻かれず、ご病死なされたので、それで代首ばかりが残ったのだよ」
「でも、どうして代首を、お洗いなさるのでございますか?」
「納谷家の行事なのだよ。年に一度、お蔵から、そう、鸚鵡蔵から、代首を取り出して、綺麗に洗ってあげるというのがねえ。……代首にもしろ、首を残しておなくなりになった方々の冥福をお祈りするためでもあり、残されたお首を、粗末に扱わぬためでもあり……」
「でも、どうしてお姉様が?」
「いいえ、これまでは、妾ではなくて、納谷家の当主――妾の良人《おっと》、そうそうお前さんには義兄《にい》さんの、雄之進様がお洗いになったのだよ」
「おお、そのお義兄《あにい》様は、お健康《たっしゃ》で?」
「いいえ、それがねえ」とお篠は顔を伏せた。
「遠い旅へお出かけなされたのだよ」
「旅へ? まあ、お義兄様が?」
「あい、何時《いつ》お帰りになるかわからない旅へ!」
またお篠は顔を伏せた。話し話し代首を洗っていた手も止まった。肩にかかっていた垂髪が顫えている。泣
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