いているのではあるまいか。
「お姉様、お姉様」と菊弥もにわかに悲しくなり、
「どうして旅へなど、お義兄様が※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
「恐ろしいご病気におかかりなされたからだよ」
「恐ろしいご病気に?」
「あい、血のために」
「血のために? 血のためとは?」
「濁った血のためにねえ」
「…………」
「納谷家は、いまも云ったように、古い古い名家なのだよ。それで代々、親戚《みより》の者とばかり、婿取り嫁取りをしていたのだそうな。身分や財産《しんしょう》が釣り合うように、親戚をたくさん増やさないようにとねえ。……そのあげくが血を濃くし、濁らせて、とうとう雄之進様に恐ろしい病気を。……それでご養生に、つい最近、遠い旅へねえ。……お優しかった雄之進様! どんなに妾を可愛がって下されたことか! お前さんは知らないでしょうが、お前さんがまだ誕生にもならない頃、でも妾が十七の時、雄之進様には江戸へおいでになられ、浅草寺へ参詣に行った妾を見染められ……笑っておくれでない、本当のことなのだからねえ。……財産も身分も違う、浪人者の娘の妾を、是非に嫁にと懇望され、それで妾は嫁入って来たのだよ。その妾を雄之進様には、どんなに可愛がって下されたことか! 恐ろしいご病気になられてからも、どんなに妾を可愛がって下されたことか! でもご病気になられてからの可愛がり方は、手荒くおなりなさいましたけれど。……そう、こう髪を銜《くわ》えてお振りなどしてねえ」
云い云いお篠は、代首の髻《もとどり》を口に銜え、左右へ揺すった。鉄漿《かね》をつけた歯に代首を銜えたお篠の顔は、――髪の加減で額は三角形に見え、削けた頬は溝を作り、見開らかれた両眼は炭のように黒く、眉蓬々として鼻尖り、妖怪《もののけ》のようでもあれば狂女のようでもあり、その顔の下に垂れている男の首は、代首《かえくび》などとは思われず、妖怪によって食い千切られた、本当の男の生首のようであった。
「お姉様! 恐うございます恐うございます!」
「いいえ」と云った時には、もう首は盥《たらい》の中に置かれ、お篠は俯向いて、鬱金の巾を使っていた。
襖の間に立った男
「菊弥や」とやがてお篠は云った。
「とうとうお母様もお逝去《なくな》りなされたってねえ」
「はい」と菊弥は眼をしばたたいた。
「先々月おなくなりなさいましてございます」
「妾はお葬式《と
前へ
次へ
全15ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング