にまぬかれよ》』こうあったように思われます。しかし孟子は性善を唱え、荀子は性悪を唱えました。だが告子は性可能説を唱え、又|楊雄《ようゆう》、韓兪《かんゆ》等は、混合説を唱えましたそうで」
「だがそいつは他人の説で、お前の説ではないじゃアないか」
「あっ、さようでございましたね」
「で、お前はどう思うのだ?」
「さあ、私には解《わか》りません」
「解るように考えるがいい」
「あの、先生にはどう思われますので?」
「俺か、俺はな、そんなつまらない[#「つまらない」に傍点]事は、考えない方がいいと思うのさ。形而上学的思弁といって、浮世を小うるさく[#「うるさく」に傍点]するものだからな」
これには李白は何となく、教えられたような気持がした。
「不味《まず》[#ルビの「まず」は底本では「まづ」]い物ばかり食っていると、肉放れがして痩せてしまう。美味《うまい》物を食え美味物を」
こう口では云いながら、稗《ひえ》だの粟《あわ》だの黍《きび》だのを、東巖子は平気で食うのであった。
「綺麗な衣裳《きもの》を着るがいい。そうでないと他人《ひと》に馬鹿にされる」
こう云いながら東巖子は、一年を通して
前へ
次へ
全24ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング