れも将しくその一例であった。
金鑾《きんらん》殿という立派な御殿で、玄宗は李白を引見した。
帝、食を賜い、羹《あつもの》を調し、詔あり翰林《かんりん》に供奉《ぐぶ》せしむ。――これがその時の光景であった。非常に優待されたことが、寸言の中に窺われるではないか。
彼は翰林供奉となっても、出勤しようとはしなかった。長安の旗亭に酒を飲み、いう所の管ばかりを巻いていた。
「李白に会いたいと思ったら、長安中の旗亭を訪ね、一番酔っぱらっている人間に、話しかけるのが手取早い。間違いなくそれが李白なのだからな」
人々は互いにこんなことを云った。
その時唐の朝廷に一大事件が勃発した。
渤海《ぼっかい》国の使者が来て、国書を奉呈したのであった。
国書は渤海語で書かれてあった。満廷読むことが出来なかった。
玄宗皇帝は怒ってしまった。
「蕃書を読むことが出来なければ、返事をすることが出来ないではないか。渤海の奴らに笑われるだろう。彼奴《きゃつ》ら兵を起こすかもしれない。国境を犯すに相違ない。誰か読め誰か読め!」
百官戦慄して言なし矣《い》であった。
そこへ遣《や》って来たのが李白であった。
前へ
次へ
全24ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング