であった。
老中若年寄りを初めとし林《はやし》大学頭《だいがくのかみ》など列座の上、下見の相談の催おされたのは年も押し詰まった師走《しわす》のことであったが、矜持《きんじ》することのすこぶる高くむしろ傲慢《ごうまん》にさえ思われるほどの狩野融川はその席上で阿部《あべ》豊後守《ぶんごのかみ》と争論をした。
「この八景が融川の作か。……見事ではあるが砂子が淡《うす》いの」
――何気なく洩らした阿部豊後守のこの一言が争論の基で、一大悲劇が持ち上がったのである。
「ははあさようにお見えになりますかな」融川はどことなく苦々《にがにが》しく、「しかしこの作は融川にとりまして上作のつもりにござります」
「だから見事だと申している。ただし少しく砂子が淡《うす》い」
「決して淡くはござりませぬ」
「余の眼からは淡く見ゆるぞ」
「はばかりながらそのお言葉は素人評かと存ぜられまする」
融川は構わずこういい切り横を向いて笑ったものである。
「いかにも余は絵師ではない。しかしそもそも絵と申すものは、絵師が描いて絵師が観る、そういうものではないと思うぞ。絵は万人の観るべきものじゃ。万人の鑑識《めがね》に適《
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