かな》ってこそ天下の名画と申すことが出来る。――この八景砂子が淡い。持ち返って手を入れたらどうじゃな」
満座の前で云い出した以上豊後守も引っ込むことは出来ない。是が非でも押し付けて一旦は自説を貫かねば老中の貫目《かんめ》にも係わるというもの、もっとも先祖|忠秋《ただあき》以来ちと頑固に出来てもいたので、他人なら笑って済ますところも、肩肘張って押し通すという野暮な嫌《きら》いもなくはなかった。
狩野融川に至っては融通の利かぬ骨頂で、今も昔も変わりのない芸術家|気質《かたぎ》というやつであった。これが同時代の文晁ででもあったら洒落《しゃれ》の一つも飛ばせて置いてサッサと屏風を引っ込ませ、気が向いたら砂子も蒔こう厭なら蒔いたような顔をして、数日経ってから何食わぬ態《てい》でまた持ち込むに違いない。いかに豊後守が頑固でも二度とは決してケチもつけまい。
「おおこれでこそ立派な出来。名画でござる、名画でござる」などと褒めないものでもない。
「オホン」とそんな時は大いに気取って空《から》の咳《せき》でもせい[#「せい」に傍点]て置いてさて引っ込むのが策の上なるものだ。
それの出来ない融川はいわゆる悲劇の主人公なのでもあろう。
持ち返って手入れせよと、素人の豊後守から指図《さしず》をされ融川は颯《さっ》と顔色を変えた。急《せ》き立つ心を抑えようともせず、
「ご諚《じょう》ではござれどさようなこと融川お断わり申し上げます! もはや手前と致しましては加筆の必要認めませぬのみかかえって蛇足と心得まする」
「えい自惚《うぬぼれ》も大抵にせい!」豊後守は嘲笑《あざわら》った。「唐《もろこし》徽宗《きそう》皇帝さえ苦心して描いた牡丹の図を、名もない田舎の百姓によって季節外れと嘲られたため描き改めたと申すではないか。役目をもって申し付ける。持ち返って手入れ致せ!」
老中の役目を真っ向にかざし豊後守はキメ付けた。しかし頑《かたく》なの芸術家はこうなってさえ折れようとはせず、蒼白の顔色に痙攣する唇、畳へ突いた手の爪でガリガリ畳目を掻きながら、
「融川断じてお断わり。……融川断じてお断わり。……」
「老中の命にそむく気か!」
「身|不肖《ふしょう》ながら狩野宗家、もったいなくも絵所預り、日本絵師の総巻軸、しかるにその作入れられずとあっては、家門の恥辱にござります!」
彼は俄然笑い出した。
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