と[#「じっと」に傍点]眼を付けた。
「これは何んだ?」
「あっ。幽霊!」
豊後守と金弥の声とがこう同時に筒抜けた。
「おのれ融川!」
と次の瞬間に、豊後守の叫び立てる声が、深夜の屋敷を驚かせたが、つづいて「むう」という唸《うな》り声、……どん[#「どん」に傍点]と物の仆れる音。……豊後守は気絶したらしい。
幽霊といえば応挙を想い、応挙といえば幽霊を想う。それほど応挙の幽霊は有名なものになっているが、しかし北斎が思うところあって豊後守へ描いて送った「駕籠幽霊」という妖怪画はかなり有名なものである。
白皚々《はくがいがい》たる雪の夕暮れ。一丁の駕籠が捨てられてある。駕籠の中には老人がいる。露出した腸《はらわた》。飛び散っている血汐。怨みに燃えている老人の眼! それは人間の幽霊でありまた幽霊の人間である。そうしてそれは狩野融川である。
「そうです私は商売道具で、つまり絵の具と筆と紙とで、師匠の仇を討とうとしました。豊後守様が剛愎でも、あの絵を一眼ごらんになったら気を失うに相違ないと、こう思ってあの絵を描いたのでした。
私の考えはあたりました。思惑《おもわく》以上に当たりました。あれから間もなく豊後守様はお役をお退きになられたのですからね。
私は溜飲を下げましたよ。そうして私は自分の腕を益※[#二の字点、1−2−22]信じるようになりましたよ。しかし私は二度と再び幽霊の絵は描きますまい。何故《なぜ》とおっしゃるのでございますか? 理由《わけ》はまことに簡単です、たとえこの後描いたところで到底あのような力強い絵は二度と出来ないと思うからです」
これは後年ある人に向かって北斎の洩らした述懐である。
底本:「怪しの館 短編」国枝史郎伝奇文庫28、講談社
1976(昭和51)年11月12日第1刷発行
初出:「サンデー毎日」
1925(大正14)年1月1日号
入力:阿和泉拓
校正:多羅尾伴内
2004年11月24日作成
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