くな、え、銚子へ?」
「へい、いえちょっと、仕事の方で。……それはそうとお武家様も、やはり銚子でございますかな?」
「いやおれはすこし違う」武士は変に笑ったが、「ところでお前は何商売だな?」
「へい、船大工でございます」こうはいったが平八は、気味が悪くてならなかった。
「なに船大工? 嘘をいえ」武士はいよいよ変に笑い、「これ、大工というものはな、物を見るのに上から見る。ところがお前は下から見上げる。アッハハハ、これだけでも異《ちが》う。どうだ、これでも大工というか?」
 これを聞くと平八は「あっ、しまった」と胸の中でいった。武士の言葉に嘘はない。すべて大工というものは、棟《むね》の出来栄《できばえ》へまず眼をつけ、それからずっと柱づたいに、土台の仕組みまで見下ろすものであり、それが万事に習慣づけられ、人を見る時には頭から眺め、足に及ぼすものなのであった。これに反して与力、同心、岡っ引きなどというようなものは、何より先に足もとを見、その運びに狂いがないかを、吟味するのに慣らされていた。しかるに平八は思うところあって棟梁《とうりょう》風にやつしてはいたが、ついうっかりとその点へまで、心を配ることをうち忘れ、武士を見る時にも与力風に、まず足から見たものであった。
「それにしてもこの侍、いったいどういう人物であろう?」改めて平八はつくづくと、武士を見守ったものである。
 その混乱した平八の様子が、武士にはひどく面白いと見え、奥歯をかむようにして笑ったが、
「どうだ、これでも船大工かな」
「へい、大工でございますとも、だってそうじゃございませんか、旦那に嘘を申し上げたところで、百も儲かりゃあしませんからね」いわゆるヤケクソというやつで、こう平八はつっぱねた。

    たたみ込んだ船問答

「おお、そうか、これは面白い、ではお前へ訊くことがある。どうだ、返辞が出来るかな」
「へい、わっちの知っていることなら、なんでもお答えいたしますよ」「知ってることとも、知ってることだよ、お前がほんとに船大工なら、いやでも知らなければならないことだ」
 こういうと武士は懐中から、一葉の紙を取り出した。見れば絵図が描かれてあった。船体横断の図面であった。
「さあ、これだ、よく見るがいい」武士は一点を指差したが、「ここの名称は何というな?」
「へい、腰当梁《こしあて》でございましょうが」平八は笑って即座にいった。己が姿を船大工にやつし、敵地へ乗り込もうというのであるから、忙しいうちにも平八は、一通り船のことは調べて置いた。
「それならここだ、ここは何というな?」「へい、赤間梁《あわち》と申しやす」「うん、よろしい、ではここは?」「三|間梁《のま》でございますよ」「感心感心よく知っている。ではここは? さあいえさあいえ」「下閂《したかんぬき》でございまさあ」「ほほう、いよいよ感心だな。ここはなんという? え、ここは?」
「なんでもないこと、小間《こま》の牛で」「いかにもそうだ、さあここは?」「へい、横山梁《よこやま》にございます」「うん、そうだ、さあここは?」「ヘッヘッヘッヘッ、蹴転《けころ》でさあ」「ではここは? さあわかるまい?」「胴《どいがえ》じゃございませんか。それからこいつが轆轤座《ろくろざ》、切梁《きりはり》、ええと、こいつが甲板の丑《しん》、こいつが雇《やとい》でこいつが床梁《とこ》、それからこいつが笠木《かさぎ》、結び、以上は横材でございます」
 ポンポンポンといい上げてしまった。
「ふうむ、感心、よく知っている。さては多少しらべて来たな。……よし今度は細工で行こう。……縦縁《たてべり》固着はどうするな?」
「まず鉋《かんな》で削りやす。それからピッタリ食っつけ合わせ、その間へ鋸《のこぎり》を入れ、引き合わせをしたその後で、充分に釘を打ち込みやす。漏水のおそれはございませんな」
「上棚中棚の固着法は?」
「用いる釘は通り釘、接合の内側へ漆《うるし》を塗る。こんなものでようがしょう」
「釘の種類は? さあどうだ?」
「敲《たた》き釘に打ち込み釘、木釘に竹の釘に螺旋《らせん》釘、ざっとこんなものでございます」
「螺旋釘の別名は?」
「捩《ね》じ込み釘に捩じ止め釘」
「船首《とも》の材には何を使うな?」
「第一等が槻材《けやきざい》」
「それから何だな? 何を使うな?」
「つづいてよいのは檜材《ひのきざい》、それから松を使います」
「よし」というと侍は、またも懐中へ手を入れたが、取り出したのは精妙を極めた、同じ船体の縦断面であった。
「さあここだ、なんというな?」
 航《かわら》と呼ばれる敷木《しき》の上へ、ピッタリ指先を押しあてた。
「なんでもないこと、それは航で」「いかにも航だ。ではここは?」「へい、弦《つる》でございます。そうしてその下が中入れで、そうしてその上が弦押しで」「矧《は》ぎ付きというのはどのへんだな?」
「弦押しの上部、ここでございます」「では、ここにある一文字は?」「船の眼目、すなわち船梁《ふなばり》」
「もうよろしい」といったかと思うと、武士は図面を巻き納めた。と、居住居《いずまい》を正したが、にわかに声を低目にし、「正直にいえ、職人ではあるまい」
「くどいお方でございますな」平八は多少ムッとしたが「なにを証拠にそんなことを。……わっちは船大工でございますよ」
「そうか」というとその武士は、平八の右手をムズと掴んだ。
「これは乱暴、なにをなされます」

    ご禁制の二千石船

 不意に驚いた平八が、引っ込めようとするその手先を、武士は内側へグイと捻った。逆手というのではなかったので、苦痛も痛みも感じなかったが、なんともいえない神妙の呼吸は、平八をして抗《あらが》わせなかった。
「さて、掌《てのひら》だ、ここを見ろ!」いうと一緒に侍は、小指の付け根へ指をやったが、「よいか、ここは坤《こん》という。中指の付け根ここは離《り》だ。ええと、それから人差し指の付け根、ここを称して巽《そん》という。ところで大工の鉋《かんな》ダコだが、必ずこの辺へ出来なければならない。しかるにお前の掌を見るに、そんなものの気振りもない。これ疑いの第一だ。それに反して母指《おやゆび》の内側、人差し指の内側へかけて、一面にタコが出来ている。これ竹刀《しない》を永く使い、剣の道にいそしんだ証拠だ。……が、まずそれはよいとして、ここに不思議なタコがある。と、いうのは三筋の脉《みゃく》、天地人の三脉に添って、巽《そん》の位置から乾《けん》の位置まで斜めにタコが出来ている。さあ、このタコはどうして出来た?」武士はニヤリと一笑したが、「お前、捕り縄を習ったな! アッハハハ、驚くな驚くな、すこし注意をしさえしたら、こんなことぐらい誰にでも解る。……さて次にお前の足だが、心持ち内側へ曲がっている。そうしてふくらはぎに馬擦れがある。これ馬術に堪能の証拠だ。ところで、捕り縄の心得があり、しかも馬術に堪能とあっては、自ら職分が知れるではないか。これ、お前は与力だろうがな! いや、しかし年からいうと、今は役目を退いている筈だ。……与力あがりの楽隠居。これだこれだこれに相違ない! どうだ大将、一言もあるまいがな」
 武士は哄然と笑ったものである。
「おい」と武士はまたいった。「変装をしてどこへ行くな? しかも大工のみなりをして。いやそれとてこのおれには、おおかた見当がついている。そこでお前へ訊くことがある、いま見せてやった図面の船、何石ぐらいかあたりがつくかな?」
「へえ」といったが平八には、その見当がつかなかった。それに度胆を抜かれていた。で、眼ばかりパチクリさせた。
「解らないかな」と冷やかに笑い、フイと武士は立ち上がったが、「お前の目的とおれの目的と、どうやら同じように思われる。……それはとにかくこの船はな、二千石船だよ! ご禁制の船だ!」いいすてると武士は大跨に歩き、胴の間の方へ下りていった。
 後を見送った平八が、心の中で、「あっ」と叫んだのは、まさに当然というべきであろう。彼はウーンと唸り出してしまった。「武術が出来て手相が出来、そうしてご禁制の大船の図面を、二葉までも持っている。……みなりは随分粗末ながら、高朗としたその風采、一体全体何者だろう?」
 しかし間もなく武士の素性は、意外な出来事から露見された。
 それは上総の御宿の沖まで、船が進んで来た時であったが、忽ち海賊におそわれた。その時はもう夕ぐれで、浪も高く風も強く、そうしてあたりは薄暗かったが、忽然一せきの帆船が行く手の海上へあらわれた。べつに変ったところもない、普通の親船にすぎなかったが、しずかにしずかに八幡丸を、あっぱくするように近寄ってきた。ちょうどこの時平八は、船のへさきに胡坐《あぐら》をかき、海の景色をながめていたが、その鋭い探偵眼で、賊船であることを見てとった。
「ははあ、いよいよおいでなすったな」
 ニヤリとほくそ笑んだものである。
 正直のところ平八は、海賊を待っていたのであった。そうして彼は十中八九、現われてくるものと察していた。というのは八幡丸は、船脚が遅くかこ[#「かこ」に傍点]が少なく、しかも船としては老齢なのに、某《なにがし》大名から領地へ送る、莫大《ばくだい》もない黄金を、無造作《むぞうさ》に積みこんでいるからで、こういう船を襲わなかったら、それこそ海賊としては新米であった。

    武士の剣技精妙を極む

 八幡丸のかこ[#「かこ」に傍点]どもが、海賊来襲に気がついたのは、それから間もなくのことであったが、しかしその時は遅かった。賊船から下ろされた軽舟が、すでに周囲《まわり》をとりまいていた。と、投げかけた縄梯子をよじ、海賊の群がなだれこんで来た。
 怒号、喚声、呻吟、悲鳴、おだやかであった船中が、みるまに修羅場と一ぺんしたのは悲惨というも愚かであった。賊は大勢のそのうえに手に手に刀を抜き持っていた。勝敗の数は自《おのずか》ら知れた。最初はけなげに抵抗もしたが、あるいは傷つけられまたは縛られ、悉くかこ[#「かこ」に傍点]たちは平げられてしまった。
 船腹へ飛び込んだ海賊どもが、黄金の箱をかつぎだしたり、積み荷の行李を持ちだしたりする、不気味といえば不気味でもあり、壮快といえば壮快ともいえる、掠奪の光景が演じられたのも、それから間もなくのことであった。
 海上を見ればすぐ手近に、その櫓《やぐら》を黒く塗った、海賊船の親船が、しずまりかえって横たわり、こっちの様子をうかがっていた。あたりを通る船もなく、煙波は茫々と見渡すかぎり、夕暮れの微光に煙っていた。
 では不幸な八幡丸は、そのまま海賊の掠奪にあい、全部積み荷を奪われたのであろうか? いやいやそうではなかったのであった。胴の間に眠っていた例の武士が、その眠りから覚めた時、形勢は逆転したのであった。
 まず胴の間から叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]する、武士の声が響いて来た。と、つづいてウワーッという、海賊どもの喚き声が聞こえ、忽ち田面《たのも》の蝗《いなご》のように、胴の間口から七、八人の、海賊どもが飛び出して来た。と、その後ろから現われたのが、怒気を含んだ例の武士で、両手に握った太い丸太を、ピューッピューッと振り廻した。が、振り方にも呼吸があり、決してむやみに振り廻すのではない。急所急所で横に縦に、あるいは斜めに振り下ろすのであった。
 しかし一方賊どもも、命知らずの荒男《あらおとこ》どもで、危険には不断に慣れていた。ことには甲板には二十人あまりの、味方の勢がいたことではあり、一団となって三十人、だんびら[#「だんびら」に傍点]をかざし槍をしごき、ある者は威嚇用の大まさかりを、真《ま》っ向《こう》上段に振りかぶり、さらにある者は破壊用の、巨大な槌を斜めに構え、「たかが三ピンただ一人、こいつさえ退治たらこっちのもの、ヤレヤレヤレ! ワッワッワッ」と、四方八方から襲いかかった。
 が、武士の精妙の剣技たるや、ほとんど類を絶したもので、人間業とは見えなかった。まず帆柱を背に取ったのは、後ろを襲われない
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