人」
「ナニ、五十人? それは大きい」
「ええ、大きゅうございます」
「ところで、いつ頃から始まったんだ?」
「秋口からポツポツとね」
「どんな塩梅《あんばい》になくなるのだ?」
「どうもそれがマチマチで、こうだとハッキリいえませんので」
「まず一例をあげて見れば?」
「神田の由太郎でございますがね、随分有名な棟梁《とうりょう》で、それが羽田へ参詣したまま、行方《ゆくえ》が知れないじゃありませんか」
「おお、そうか。で、その次は?」
「業平町《なりひらちょう》の甚太郎、これも相当の腕利きですが、品川へ魚釣りに行ったまま、家へ帰って来ないそうで」
「おお、そうか。で、その次は?」
「龍岡町の鋸安《のこぎりやす》は、仕事場から姿が消えたそうで」
「ふうん、なるほど、面白いな」
「まったく変梃《へんてこ》でございますよ」
「で、見当はついてるのか?」
「なんの見当でございますな?」
「当たりめえじゃねえか、人攫いのよ」
「それならついていませんそうで」
「呆れたものだ。無能な奴らだ」
「へえ、さようでございますかね」
「たった今耳にしたばかりだが、俺には目星がついている」
 これには松五郎も驚いた。
「旦那、そりゃあ本当のことで?」
「嘘をいって何んになるかよ」

    玻璃窓の平八江戸を離れる

「聞きてえものだ。教えてくだせえ」
「どこかで大船《おおぶね》を造っているのさ」
「へへえ、ナーンだ、そんなことですかい」
「なんだとはなんだ。なんだではないよ」
「だがね、旦那、少しおかしいや。なにも大船を造るのに、大工を攫わなくてもよさそうなものだ」
「いやいや、それがそうでない。造り主が大変者《たいへんもの》なのだ」
「大変者って、何者なので?」
 松五郎はいくらか熱心になった。
「一口にいうと日蔭者《ひかげもの》だ」
「どうも私《わっち》には解らねえ」
 すると平八は声を落としたが、
「教えてやろう。海賊だ」
「ははあ、海賊? ナール、日蔭者だ」
「しかも一通りの海賊ではない。やはりこれは赤格子だ。そうでなければその余党だ。そいつがどこかでご禁制の船を、建造しているに相違ない」
 益※[#二の字点、1−2−22]声を落としたが、
「小松屋、そこで頼みがある。あすかないしはあさって頃、船脚が遅くて小さな船で、そうして金目《かねめ》を積み込んでいる、つまり海賊に襲われそうな船が、どこかの問屋から出はしないか、そいつを調べて来て貰いたい」
「変なご注文でございますね」
「是非今夜中に知りたいのだ」
「ようございます。すぐ行って来ましょう」
 松五郎はとつかわ[#「とつかわ」に傍点]出て行ったが、真夜中になって戻って来た。
「旦那、一隻みつかりました」
「それはご苦労。どこの船だな」
「へい、淀屋の八|幡丸《わたまる》で」
「あ、そうか、それは有難い。……いいから帰って休んでくれ」
 松五郎が帰ると平八は、すぐに変装にとりかかった。髯を剃り、髪を結い変え、紺の腹がけに同じ股引《ももひき》、その上へ革の羽織を着たが、まさに一カドの棟梁であった。
 夜のひきあけに家を出ると、深川の淀屋まで歩いて行った。
「許せ」
 と声だけは武士のイキで、
「俺はな、南町奉行所吟味与力の石本だ、仔細あって犬吠へ行く。ついては八幡丸へ乗せてくれ」
「よろしい段ではございません。ご苦労様に存じます」
 淀屋では異議なく承知した。

 こうして名探索玻璃窓は、江戸から足を抜いたのであった。

    阪東米八と和泉屋次郎吉

 ここは両国の芝居小屋、阪東米八の楽屋であった。
 午後の陽《ひ》が窓からさしていた。あけ荷、衣桁《いこう》、衣裳、鬘《かつら》、丸型朱塗りの大鏡台、赤を白く抜いた大入り袋、南京繻子《なんきんじゅす》の大座布団、ひらいたままの草双紙、こういった物が取り乱されてあったが、女太夫の部屋だけに、ひときわ光景がなまめかしい。
「ねえ、お前さん、ねえ吉っあん、ほんとに気色が悪いじゃないか。妾《わたし》アつくづく厭になったよ」
 燃え立つばかりの緋縮緬《ひぢりめん》、その長襦袢《ながじゅばん》をダラリと引っかけ、その上へ部屋着の丹前を重ね、鏡台の前へだらしなく坐り、胸を開けて乳房を見せ、そこへ大きな牡丹刷毛で、ヤケに白粉《おしろい》を叩きつけているのは、座頭《ざがしら》阪東米八であった。年はおおかた二十五、六、膏《あぶら》の乗った年増盛り、大柄で肉付きよく、それでいて姿のぼやけないのは、踊りで体を鍛えたからであろう。肉太の高い鼻、少し大きいかと思われたが、それがかえって役者らしい。紅《べに》をさした玉虫色の口、それから剃り落とした青い眉、顔の造作は見事であったが、とりわけ眼立つのはその眼であって、上瞼《うわまぶた》が弓形をなし、下瞼が一文字を作った、びっくりするほど切れ長の眼は、妖艶|婀娜《あだ》たるものであった。※[#「白+光」、204−4]々《こうこう》という形容詞が、そっくりそのままあてはまるような、光沢を持った純白な肌は、見る人の眼をクラクラさせた。
「妾アつくづく厭になったよ」くり返して彼女はこういった。
「いや俺も驚いた」
 こう合い槌を打ったのは、彼女にとっては旦那でもあり、且つは嬉しい恋人でもある、魚屋の和泉屋《いずみや》次郎吉であった。唐棧《とうざん》ずくめの小粋ななり、色の浅黒い眼の鋭い、口もとのしまった好男子で、年はそちこち四十でもあろうか、小作りの体は敏捷らしく、五分の隙もない人品であったが、座布団の上へ腹這いになり、莨《たばこ》をプカプカ吹かしていた。
「つぶてでなし手裏剣でなし、なんでいったいぶち抜いたものかな。看板と板壁とを突き通すなんて、ほんとにこいつ素晴らしい芸だ」
「そんなことどうでもよござんすよ。それより、妾|癪《しゃく》にさわるのは、選《よ》りに選って妾の顔へ、あんな大きな穴をあけて……」
「ナーニそれとて曰《いわ》くはないのさ。あんまりお前が綺麗なので、それでいたずらをしたってやつさ」
「ヘン、おっしゃいよ、おためごかしを」
 米八は横目で睨む真似をした。
「そうはいうものの惜しいことをした。あれは俺から五|渡亭《とてい》に頼んで、わざわざ描かせた看板だからな」
「そんなことどうでもよござんすよ」まだ米八は機嫌が悪い。「それに妾にはこの芝居、なんだか小気味が悪くってね」
「へえ、どうしてだい、おかしいね。いり[#「いり」に傍点]だってこんなにあるじゃないか」今度は次郎吉が不満そうにした。
「だって、あんまりなまなましいんですもの」
「なまなましいって? どうしてかい?」
「だってお前さんそうじゃないか。泥棒芝居の鼓賊伝、ところで主人公の鼓賊ときては、現在江戸を荒し廻っていて、お上に迷惑をかけてるんでしょう」
「うん、そうさ、だからいいのさ。つまり何んだ、はしりだからな。そうとも素敵もねえ際物《きわもの》だからな。……もっとも他にも筋はある」
「ええ、そりゃありますとも。追分唄いの甚三馬子だの、宿場女郎のお北だの、あくどい色悪《いろあく》の富士甚内だの。……」
「それから肝腎の探索がいらあ」
「ええ、見透しの平七老人」
「で、素晴らしくいい芝居さ」次郎吉はツルリと顎《あご》を撫でたが、にわかにズンと声を落とし、「実はおいらの道楽から行くと、その『見透しの平七』を『玻璃窓の平八』にしたかったのさ。だが、それじゃあんまりだからな。で、平七に負けてやったやつさ」
「おや変ですね、玻璃窓といえば、郡上の旦那じゃありませんか」米八は不思議そうに見返った。
「うん、そうさ、その旦那さ。あけすけにいえばこの芝居はだ、その玻璃窓に見せたいばっかりに、おいら筋立てをしたんだからな」

    深い怨みの敵討ち

「その玻璃窓の旦那なら、おとつい観《み》に来たじゃありませんか」
「百も承知だ。待っていたんだからな。そこで早速秀郎の野郎に例の鼓を打たせたのさ。アッハハハ、いい気味だった。あの鼓を聞いた時の玻璃窓の爺《だんな》の顔といったら、今思い出しても腹がよじれる。いいみせしめ[#「みせしめ」に傍点]っていうやつさな」さもおかしいというように、揺《ゆ》り上げ揺り上げ笑ったものである。
 米八には意味がわからなかった。
「でもどうして玻璃窓の旦那に、こんどの芝居を見せたいんでしょう?」
「それか、それには訳がある。……ひらったくいうとまずこうだ。彼奴《きゃつ》、としよりの冷水《ひやみず》で、鼓賊を追っかけているんだよ。ところがさすがの名探索も、こんどばかりは荷が勝って、後手ばかり食らっているやつさ。それを俺は知ってるんだ。うん、そうさ、ある理由からな。ところで俺はあの爺《じじい》に五年前から怨みがあるんだ。で、そこで敵討ちよ。つまり彼奴《きゃつ》のトンマぶりを、そっくり芝居に仕組んだあげく、彼奴《きゃつ》の眼の前にブラ下げたって訳さ。胸に堪《こた》える五寸釘! そいつがこれだ。『名人地獄』だ!」
「どんな怨みだか知らないけれど、つまらない事をしたものね」米八は浮かない顔をした。
「それはそうと、ねえお前さん、秀郎さんの鼓賊のつくり、何から何までお前さんじゃないか」
「俺が注文したからよ」次郎吉はそこでニタリとした。
「どうしてだろう? ねえお前さん」
「それも玻璃窓に見せたかったからさ」
「なんだか妾《わたし》にゃあ解らない」きまずそうに眉をひそめ、「とにかく妾にゃあこの芝居は、気になることばかりで面白くないよ」
「それじゃ明日から芸題《げだい》替えだ」次郎吉は煙管《きせる》のホコを払い、「もう玻璃窓に見せたんだから、俺の目的はとげられたってものさ。いつ替えたって惜しかあねえ」
「アラそう、それじゃ替えようかしら」
「それがいい、つき替えねえ」
 米八はいくらか愁眉をひらき、チラリと鏡を覗いてから、次郎吉の方へ膝を向けた。
「まだあるのよ、気になることが」
「文句の多い立《たて》おやまさね」次郎吉はちょっとウンザリしたが、「おおせられましょう、お姫様、とこう一つ行くとするか」
「真面目にお聞きよ、心配なんだからね」
「おい、どうするんだ、邪慳《じゃけん》だなあ。煙管《きせる》ならそっちにあるじゃねえか」
「お前さんの煙管でのみたいのさ」
「へん、安手《やすで》な殺し文句だ」
「でも、まんざらでもないでしょうよ」
「こんどは押し売りと来やがったな。あッ、熱い! なにをしやがる!」
 左の頬を抑えたのは、雁首《がんくび》の先をおっつけられたからで。
「いい気味いい気味、セイセイしたよ」
「地震の後はどうせ火事だ。諦めているからどうともしなよ」
 ゴロリと次郎吉はあおむけになった。
「節穴《ふしあな》の多い天井だなあ。暇にまかせて数えてやるか。七ツ八ツ九ツ十」
「莫迦《ばか》にしているよ、呆れもしない」
「そのまた莫迦が恋しくて、離れられないというやつさ」
「いい気なものさ、しょってるよ」
「あっ、畜生、五十八もあらあ」
 とうとうみんな数えたらしい。

    腑に落ちない色々の事

「ほんとにそうだよ」と米八は、何をにわかに考え出したものか、しみじみとしていい出した。
「どこがよくって惚れたのか、妾にゃまるっきり見当がつかない」
「オヤ、今度は恩にかけるのかい」
 次郎吉はもっけな顔をした。
「なあに、そうじゃないけれどね、お前さんのためにゃほんとにほんとに、髪まで切られているんだからね」
「おっと、そいつアいいっこなしだ」
 こうはいったが次郎吉も、これには多少こたえたらしい。
「どうだ、それでもすこしは伸びたか?」
「三月や半年で女の髪が、なんでそうそう伸びますかよ」米八は額で睨むようにした。
「あれは一生の失敗だった」むしろ次郎吉は慨然《がいぜん》と、「厭がるお前を無理にすすめ、一幕うったほどでもねえ、たいした儲けもなかったんだからな」
「罪もない観世様をそそのかし、色仕掛けで巻き上げたまでは、まあまあ我慢をするとして、ご親友だとかいう平手さんに、駕籠から雪の中へ引き出され、鼓を取られたあげくのはてに、ブッツリ髷
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