に投じたのであった。
深編笠《ふかあみがさ》で二人ながら、スッポリ顔を隠したまま、扇一本で拍子を取り、朗々と唄うその様子は、まさしく大道の芸人であったが、いずくんぞ知らんその懐中に、磨《と》ぎ澄ましたところの釘手裏剣が、数十本|蔵《ぞう》してあろうとは。
お船手頭《ふなてがしら》向井|将監《しょうげん》
赤格子九郎右衛門の本拠を突き止め、何かを入れた封じ箱を、その九郎右衛門に手渡せというのが、碩翁様からの命令であった。
郡上平八は名探偵、すぐに品川から船に乗り出し、日本の海岸をうろつくような、そんなへまはしなかった。
市中の探索から取りかかった。
翌朝早く家を出ると、駕籠を京橋へ走らせた。
「ここでよろしい」
と下り立ったところは、新船松町の辻であった。
そこに宏壮な邸があった。
二千四百石のお旗本、お船手頭《ふなてがしら》の首位を占める、向井将監《むかいしょうげん》の邸であったが、つと平八は玄関へかかり、一封の書面を差し出した。碩翁様からの紹介状であった。
「殿様ご在宅でございましたら、お目通り致しとう存じます」
「しばらく」
と取り次ぎは引っ込んだが、すぐに引っ返して現われた。
「お目にかかるそうでございます。いざお通りくださいますよう」
「ご免」
というと玄関へ上がり、そこで刀を取り次ぎへ渡し、郡上平八は奥へ通った。
待つ間ほどなく現われたのは、大兵肥満威厳のある、五十年輩の武士であったが、すなわち向井将監であった。
「おおそこもとが郡上氏か、玻璃窓の高名存じておる。碩翁殿よりの紹介状、丁寧《ていねい》でかえって痛み入る。くつろぐがよい、ゆっくりしやれ」
濶達豪放な態度であった。
「早速お目通りお許しくだされ、有難き仕合わせに存じます」
「大坂表で処刑された、海賊赤格子九郎右衛門について、何か聞きたいということだが」
「ハイ、さようにございます。お殿様には先祖代々、お船手頭でございまして、その方面の智識にかけては、他に匹儔《ひっちゅう》がございませぬ筈、つきましては赤格子九郎右衛門が、乗り廻したところの海賊船の、構造ご存知ではございますまいか?」
「さようさ、いささかは存じておる」
「やっぱり帆船でございましたかな?」
「さよう、帆船ではあったけれど、帆の数が非常に多かったよ」
「ははあ、さようでございますか」
「それにその帆の形たるや、四角もあれば三角もあり、大きなのもあれば小さなのもあった」
「ははあ、さようでございますか」
「日本の型ではないのだそうだ。南蛮の型だということだ」
「それは、さようでございましょうとも」
「で、船脚《ふなあし》が恐ろしく速く、風がなくても駛《はし》ることが出来た。ヨット型とか申したよ」
「ははあ、ヨット型でございますな」
平八は手帳へ書きつけた。
「それから」と将監はいいつづけた。
「櫓《やぐら》の格子が朱塗りであったな。それが赤格子の異名ある由縁だ」
「ははあ、さようでございますか」平八は手帳へ書きつけた。
「ええと、それから大砲が二門、船首《へさき》と船尾《とも》とに備えつけてあった。それも尋常な大砲ではない。そうだ、やっぱり南蛮式であった」
「南蛮式の大砲二門」
平八はまたも書きつけた。
「まず大体そんなものだ」
「よく解りましてございます。……ええと、ところで、もう一つ、その赤格子の襲撃振りは、いかがなものでございましたかな?」
「襲撃ぶりか、武士的であったよ」
「は? 武士的と申しますと?」
「決して婦女子は殺さなかった。そうして敵対をしない限りは、男子といえども殺さなかった」
町奉行所の与力たち
「それは感心でございますな」
こういいながら平八は、またも手帳へ書きつけた。
「つまり彼は威嚇をもって、相手を慴伏《しょうふく》させたのだ」将監は先へ語りつづけた。「こいつと目差した船があると、まずその進路を要扼《ようやく》し、ドンと大砲をぶっ放すのだ。だがそいつは空砲だ。つまり停まれという信号なのだ。それで相手が停まればよし、もしそれでも停まらない時には、今度は実弾をぶっ放すのだ。が、それとてもあてはしない。相手の前路へ落とすのだ。これが頗《すこぶ》る有効で、大概の船は顫えあがり、そのまま停まったということだ。しかしそれでも強情に、道を転じて逃げようとでもすると、その時こそは用捨《ようしゃ》なく、三発目の大砲をぶっ放し、沈没させたということだ」
「一発は空砲、二発は実弾、ただしそのうち一発は、わざとあてずに前路へ落とす、つまりかようでございますな」
平八は四たび書きつけた。
「もはや充分でございます」
お礼をいって邸を出ると、平八はふたたび駕籠へ乗った。
「駕籠屋、急げ! 数寄屋町だ!」
「へい」
と駕籠屋は駈け出した。
「よろしい、下ろせ」
と駕籠を出たところは、南町奉行所の門前であった。
裏門へ廻ると平八は、ズンズン内《なか》へはいって行った。
与力詰所までやって来ると、顔見知りの与力が幾人かいた。
「いよう、これは郡上氏」
「いよう、これは玻璃窓の旦那」
「いよう、これは無任所与力」
などといずれも声を掛けた。それほどみんなと親しいのであった。
「玻璃窓の爺《おやじ》の出張だ。大事件が起こったに違いない、うかつにノホホンに構えていて、抜かれでもしたら不面目、あぶねえあぶねえ、用心用心」
なかにはこんなことをいう者もあった。
平八はニヤリと笑ったばかり、一人の与力へ眼をつけると、
「石本氏、ちょっとお顔を」
「なんでござるな」
と立って来るのを、平八は別室へ誘《いざな》った。
「秘密に書き上げを拝見したいが」
「ははあ、書き上げ? どうなされるな?」
「いやちょっと、ご迷惑はかけぬ」
「貴殿のこと、よろしゅうござる」
持って来た書き上げをパラパラめくると、二、三平八は書きとめた。
「そこで、もう一つお願いがござる。……貴殿のお名を拝借したい」
「いと易いこと、お使いなされ」
また平八は駕籠へ乗った。
「日本橋だ、河岸へやれ」
下りたところに廻船問屋、加賀屋というのが立っていた。
「許せよ」
と平八はズイとはいった。
「これはおいでなさいませ。ええ、何か廻船のご用で?」
店の者は揉み手をした。
「いやちょっと主人に逢いたい」
「どんなご用でございましょう?」迂散《うさん》らしく眼をひそめた。
「逢えば解る、主人にそういえ」
「失礼ながらあなた様は?」
「南町奉行所吟味与力、石本勘十郎と申す者だ」
「へーい」
というと二、三人、奥へバタバタと駈け込んだ。それほどまでに吟味与力は、権勢のあったものである。
「どうぞお通りくださりますよう」
「そうか」というと郡上平八はズイと奥の間へ通って行った。
廻船問屋を歴訪す
茶と莨盆《たばこぼん》と菓子が出て、それから主人が現われた。
額をピッタリ畳へつけ、
「当家主人、卯三郎《うさぶろう》、お見知り置かれくだされますよう」
「早速ながら訊くことがある」
「は、は、何事でござりましょうか?」
「今月初旬、七里ヶ浜沖で、そちの持ち船|琴平丸《こんぴらまる》、賊難に遭ったということだな。書き上げによって承知致しておる」
「御意《ぎょい》の通りにございます」
「で、水夫《かこ》どもは今おるかな?」
「二、三人おりますでござります」
「ちょっと訊きたいことがある。多人数はいらぬ、一人出すよう」
「かしこまりましてござります」
やがてそこへ現われたのは、八助という水夫《かこ》であった。
「八助というか、恐れなくともよい。遭難の様子を話してくれ。……で、賊船は幾隻あったな?」
八助はオドオド顫えながら、
「へえ、親船が一隻で」
「櫓《やぐら》の格子は赤かったかな?」
「いえ、黒塗りでございました」
「ナニ、黒塗り? ふうむ、そうか」平八は小首を傾げたが、「無論、帆船であったろうな?」
「へえ、さようでございます」
「異《かわ》ったところはなかったかな?」
「へ? なんでございますか?」
「帆の形だ。帆の形だよ」
「へえ、べつに、これといって……」
「普通の型の帆船であったか?」
「へえ、さようでございます」
「ふうむ、そうか。……ちょっと変だな」
考えざるを得なかった。
「で、大砲でも打ちかけたか?」
「なかなかもって、そんなこと」
「大砲二門、備えている筈だ。そんなものは見かけなかったかな?」
「なんであなた、大砲など……」
「ふうむ、そうか、これもいけない」
平八はまたも考え込んだ。
「で、どうだな、海賊どもは、穏《おとな》しかったかな、乱暴だったかな?」
「仲間が五人殺されました」
「いずれ抵抗したのだろうな?」
「敵は大勢、味方は小人数、争ったところで追っ付きません」
「……これもいけない」
と平八は、呟《つぶや》かざるを得なかった。
加賀屋を出るとその足で、尚二、三軒廻船問屋を、郡上平八は訪問した。いずれも諸方の近海で、海賊に襲われた手合いであった。しかるに答えはどれも同じで、櫓格子《やぐらごうし》は黒塗りであり、帆の形も尋常であり、大砲などは備えていず、海賊どもは乱暴で、武士的などとはいわれない。――と、こういう返辞であった。
「解った」
と平八は自分へいった。「この海賊は赤格子ではない。手口を見れば明らかだ。他の奴らに相違ない。……さて、では肝腎の赤格子は、いったいどこにいるのだろう?」
かえって見当がつかなくなった。
「それはとにかく、腹が減った。きょうは少々動き過ぎたからな」
で、平八は駕籠を返し、手近の縄暖簾《なわのれん》へ飛び込んだ。
こんなことは彼にとって、ちっとも珍らしいことではない。
彼の前に職人がいた。威勢のいい江戸っ子で、扮装《みなり》の様子が船大工らしい。
「おお初公、変じゃないか、どう考えても変梃《へんてこ》だよ」
一人の職人がこういった。
と、もう一人が、それに応じた。
「うん、まったく変梃だなあ。なんと思って選《よ》りに選って、船大工ばかりを攫《さら》うのだろう」
二人の職人の耳寄りな話
「はてな」
と平八は胸でいった。「おかしな話だ。なんだろう?」
で、捨て耳を働かせ、職人の話に聞き入った。
「喜公《きいこう》も消えたっていうじゃねえか」
「それから松ヤンもなくなったそうだ」
「平河町の政兄イ、あそこでは一時に五人というもの、姿がなくなったということだぜ」
「ところがお前《めえ》、石町では、親方がどこかへ行っちゃったそうだ」
「天狗様かな? お狐様かな?」
「天狗様にしろお狐様にしろ、船大工ばかりに祟《たた》るなんて、どうでも阿漕《あこぎ》というものだ」
「見ていや、今に、江戸中から、船大工の影がなくなるから」
「亭主、いくらだ?」
と代を払って、郡上平八は外へ出た。
「おい駕籠屋、本所へやれ」
新しくやとった駕籠へ乗り、平八は自宅へ引き返した。
「おい、松五郎を呼びにやりな」
間もなくご用聞きの松五郎が、きのう見せた顔と同じ顔を、平八の前へ突きつけた。
「旦那、なにかご用でも?」
「うん、訊きたいことがある」
「へい、やっぱり切り髪女の?」
「いや、あれは打ち切りだ」
「え、なんですって? 打ち切りですって?」
松五郎は驚いて眼を見張った。「おどろいたなあ、どうしたんですい? いよいよヤキが廻りましたかね」
「いやいやそういう訳ではない。実はな、もっと重大な事件を、あるお方から頼まれたのだ」
「おおさようで、それはそれは」
「ところでお前に訊くことがある。この江戸の船大工が、姿を消すっていうじゃないか」
「ええ、もう、そりゃあズッと以前《まえ》からで」
「どうして話してくれなかった?」
ちょっと平八は不機嫌そうにいった。
「だって旦那、この事件は、鼓賊とは関係ありませんよ」
「うん、そりゃそうだろう」
「で、黙っておりましたので」
「そういわれりゃあそれまでだな」平八は止むを得ず苦笑したが、「幾人ほど攫《さら》われたな?」
「さあ、ザッと五十
前へ
次へ
全33ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング