こんなことは彼にとって、ちっとも珍らしいことではない。
 彼の前に職人がいた。威勢のいい江戸っ子で、扮装《みなり》の様子が船大工らしい。
「おお初公、変じゃないか、どう考えても変梃《へんてこ》だよ」
 一人の職人がこういった。
 と、もう一人が、それに応じた。
「うん、まったく変梃だなあ。なんと思って選《よ》りに選って、船大工ばかりを攫《さら》うのだろう」

    二人の職人の耳寄りな話

「はてな」
 と平八は胸でいった。「おかしな話だ。なんだろう?」
 で、捨て耳を働かせ、職人の話に聞き入った。
「喜公《きいこう》も消えたっていうじゃねえか」
「それから松ヤンもなくなったそうだ」
「平河町の政兄イ、あそこでは一時に五人というもの、姿がなくなったということだぜ」
「ところがお前《めえ》、石町では、親方がどこかへ行っちゃったそうだ」
「天狗様かな? お狐様かな?」
「天狗様にしろお狐様にしろ、船大工ばかりに祟《たた》るなんて、どうでも阿漕《あこぎ》というものだ」
「見ていや、今に、江戸中から、船大工の影がなくなるから」
「亭主、いくらだ?」
 と代を払って、郡上平八は外へ出た。
「おい駕籠屋、本所へやれ」
 新しくやとった駕籠へ乗り、平八は自宅へ引き返した。
「おい、松五郎を呼びにやりな」
 間もなくご用聞きの松五郎が、きのう見せた顔と同じ顔を、平八の前へ突きつけた。
「旦那、なにかご用でも?」
「うん、訊きたいことがある」
「へい、やっぱり切り髪女の?」
「いや、あれは打ち切りだ」
「え、なんですって? 打ち切りですって?」
 松五郎は驚いて眼を見張った。「おどろいたなあ、どうしたんですい? いよいよヤキが廻りましたかね」
「いやいやそういう訳ではない。実はな、もっと重大な事件を、あるお方から頼まれたのだ」
「おおさようで、それはそれは」
「ところでお前に訊くことがある。この江戸の船大工が、姿を消すっていうじゃないか」
「ええ、もう、そりゃあズッと以前《まえ》からで」
「どうして話してくれなかった?」
 ちょっと平八は不機嫌そうにいった。
「だって旦那、この事件は、鼓賊とは関係ありませんよ」
「うん、そりゃそうだろう」
「で、黙っておりましたので」
「そういわれりゃあそれまでだな」平八は止むを得ず苦笑したが、「幾人ほど攫《さら》われたな?」
「さあ、ザッと五十人」
「ナニ、五十人? それは大きい」
「ええ、大きゅうございます」
「ところで、いつ頃から始まったんだ?」
「秋口からポツポツとね」
「どんな塩梅《あんばい》になくなるのだ?」
「どうもそれがマチマチで、こうだとハッキリいえませんので」
「まず一例をあげて見れば?」
「神田の由太郎でございますがね、随分有名な棟梁《とうりょう》で、それが羽田へ参詣したまま、行方《ゆくえ》が知れないじゃありませんか」
「おお、そうか。で、その次は?」
「業平町《なりひらちょう》の甚太郎、これも相当の腕利きですが、品川へ魚釣りに行ったまま、家へ帰って来ないそうで」
「おお、そうか。で、その次は?」
「龍岡町の鋸安《のこぎりやす》は、仕事場から姿が消えたそうで」
「ふうん、なるほど、面白いな」
「まったく変梃《へんてこ》でございますよ」
「で、見当はついてるのか?」
「なんの見当でございますな?」
「当たりめえじゃねえか、人攫いのよ」
「それならついていませんそうで」
「呆れたものだ。無能な奴らだ」
「へえ、さようでございますかね」
「たった今耳にしたばかりだが、俺には目星がついている」
 これには松五郎も驚いた。
「旦那、そりゃあ本当のことで?」
「嘘をいって何んになるかよ」

    玻璃窓の平八江戸を離れる

「聞きてえものだ。教えてくだせえ」
「どこかで大船《おおぶね》を造っているのさ」
「へへえ、ナーンだ、そんなことですかい」
「なんだとはなんだ。なんだではないよ」
「だがね、旦那、少しおかしいや。なにも大船を造るのに、大工を攫わなくてもよさそうなものだ」
「いやいや、それがそうでない。造り主が大変者《たいへんもの》なのだ」
「大変者って、何者なので?」
 松五郎はいくらか熱心になった。
「一口にいうと日蔭者《ひかげもの》だ」
「どうも私《わっち》には解らねえ」
 すると平八は声を落としたが、
「教えてやろう。海賊だ」
「ははあ、海賊? ナール、日蔭者だ」
「しかも一通りの海賊ではない。やはりこれは赤格子だ。そうでなければその余党だ。そいつがどこかでご禁制の船を、建造しているに相違ない」
 益※[#二の字点、1−2−22]声を落としたが、
「小松屋、そこで頼みがある。あすかないしはあさって頃、船脚が遅くて小さな船で、そうして金目《かねめ》を積み込んでいる、つまり海賊に襲われそう
前へ 次へ
全81ページ中58ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング