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甚内は刀を振りかぶった。
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北山時雨で越後は雨か
あの雨やまなきゃ会われない
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甚内はさっと甚三の、右の肩へ切りつけた。「わっ」と魂消《たまぎ》える声と共に、甚三は右手《めて》へよろめいたが、そのままドタリと転がった時、甚内は馬から飛び下りた。止どめの一刀を刺そうとした。
「まあ待ってくれ、富士甚内! 汝《われ》アおれを殺す気だな!」
「唄の上手が身の不祥、気の毒ながら助けては置けぬ」
「さてはお北も同腹だな!」
「どうとも思え、うぬが勝手だ」
「弟ヤーイ!」と甚三は、致死期《ちしご》の声を振り絞った。「われの言葉、あたったぞヤーイ! おれはお北に殺されるぞヤーイ!」
よろぼいよろぼい立ち上がるのを、ドンと甚内は蹴り仆した。とその足へしがみ付いた。
のたうち廻る馬方を、甚内は足で踏み敷いたが、おりから人の足音が、背後《うしろ》の方から聞こえて来たので、ハッとばかりに振り返った。二人の武士が走って来た。「南無三宝!」と仰天し、手負いの馬子を飛び越すと、街道を向こうへ突っ切ろうとした。と、行手から旅姿、菅の小笠に合羽を着、足|拵《ごしら》えも厳重の、一見博徒か口入れ稼業、小兵《こひょう》ながら隙のない、一人の旅人が現われたが、笠を傾けこっちを隙《す》かすと、ピタリと止まって手を拡げた。腹背敵を受けたのであった。ギョッとしながらも甚内は、相手が博徒と見定めると、抜いたままの血刀を二、三度宙で振って見せ、
「邪魔ひろぐな!」
と叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]した。
この旅人何者であろう?
博徒風の旅人は、微動をさえもしなかった。依然両手を広げたまま、地から根生《ねば》えた樫の木のように、無言の威嚇を続けていた。脈々と迸《ほとば》しる底力が、甚内の身内へ逼って来た。強敵! と甚内は直覚した。彼は忽然身を翻《ひるが》えすと、この時間近く追い逼って来た、二人の武士の方へ飛びかかって行った。一人の武士はそれと見るとつと傍《かたわ》らへ身をひいたが、もう一人の武士は足をとめ、グイと拳を突き出した。拳一つに全身隠れ、鵜の毛で突いた隙もない。北辰一刀流直正伝拳隠れの真骨法、流祖周作か平手造酒か、二人以外にこれほどの術を、これほどに使う者はない。「あっ」と甚内は身を締めた。この堅陣
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