山が、兵を率いて攻めて来る。もし赤格子が殺されたら、俺の使命は無駄になる。碩翁様《せきおうさま》にも合わす顔がない。……さんざ鼓賊に翻弄《ほんろう》され、尚その上に今度の使命まで、無駄にされては活きてはいられぬ。……だが、どうも気になるなあ誰がいったい歩いているのだろう? 俺が歩けば向こうも歩き、俺が止まれば向こうも止まる。俺をからかってでもいるようだ。館の造りもまことに変だ。真ん中に四角な石壁があって、その周囲に廊下があり、廊下の隅々に部屋がある。だが、どれも空っぽだ。いったい四角な石壁は、なんの必要があって出来ているのだろう? 部屋にしては戸口がない。打《ぶ》っても叩いてもビクともしない。……おや、畜生歩き出したかな?」平八はじっと耳を澄まし、向こう側の様子を聞き澄ました。
丑松短銃で玻璃窓を狙う
しかし足音はきこえなかった。
「では俺の方から歩いてやれ」丹田《たんでん》の気を胸へ抜き、ほとんど垂直に爪先を立て、これも一種の忍術《しのび》骨法、風を切って一息に、北側の廊下を丑松の部屋まで、電光のように走って行った。やっぱりその部屋も空であった。そうして憎い相手の者も、それに劣らぬ早足をもって、一瞬に位置を変えたとみえ、西側の廊下一帯には、人の姿は見えなかった。
勃然《ぼつぜん》と平八の胸の中へ、怒りの燃えたのは無理ではなかろう。「よし、こうなれば意地ずくだ。どんなことをしても捉えてみせる!」
彼は四角の石壁に添い、四筋の廊下を猟犬のように、追い廻してやろうと決心した。
で、彼はそれをやり出した。風が烈しくぶつかって来た。独楽《こま》のようにぶん廻った。しかも少しも音を立てない。十回あまりも繰り返した。しかし憎むべき嘲弄者《ちょうろうしゃ》を、発見することは出来なかった。やはり相手も彼と同じく、彼と同じ速力で、四筋の廊下を廻ったらしい。そうしていつも反対側に、その位置を占めているらしかった。平八は五十を過ごしていた。いかに鍛えた体とはいえ、疲労せざるを得なかった。彼は今にも仆れそうになった。ハッハッハッハッと呼吸《いき》が逸《はず》んだ。で彼は北側の廊下で、しばらく休むことにした。と、その時形容に絶した、恐ろしい事件が勃発した。しかしそれは彼以外の者には、痛痒を感じない出来事なのであった。ただし平八の身の上にとってはまさしく悪鬼のまどわしであっ
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