生がおいでなされた今は、一刻も急がなければなりませんので。で今船は根拠地へ向けて、走っているのでございますよ。それだのに旦那をお送りして、うっかり小船を陸へでも着け、もし役人にでも感づかれたら、それからそれと足がつき、一網打尽に私達は、召し捕られないものでもありません。大事な瀬戸際なのでございますよ。ですからどうもこればかりは、おひきうけすることはできませんなあ」「だが俺はどうしても、赤格子攻めのその前に、九郎右衛門に行き会わなかったら、頼まれたお方に申し訳が立たぬ。ぜひとも小船を仕立ててくれ」「残念ながらそればかりは……」「では、どうしても駄目なのだな」「どうぞお察しを願います」「ううむ」と唸ると平八は、絶望したように腕を組んだ。と、この時甲板の方から陽気な笑い声がドッと起こった。秋山要介を賓客《ひんきゃく》とし、森田屋の手下の海賊どもが、酒宴をひらいているのであった。
ここは梵字丸の甲板であった。
十七日あまりの冴えた月が、船をも海をもてらしていた。船はしんしんとはしっていた。根拠地をさしてはしっているのだ。
大杯で酒をあおりながら、談論風発しているのが、他ならぬ秋山要介であった。武州|入間郡《いるまごおり》川越の城主、松平大和守十五万石、その藩中で五百石を領した、神陰《しんかげ》流の剣道指南役、秋山要左衛門勝重の次男で、十五歳の時には父勝重を、ぶんなぐったという麒麟児《きりんじ》であり、壮年の頃江戸へ出て、根岸お行《ぎょう》の松へ道場を構え、大いに驥足《きそく》を展《の》ばそうとしたが、この人にしてこの病《やま》いあり、女は好き酒は結構、勝負事は大好物、取れた弟子も離れてしまい、道場は賭場《とば》と一変し、門前|雀羅《じゃくら》を張るようになった。こいつはいけないというところから、道場をとじて武者修行に出たが、この武者修行たるや大変もので、どこへ行っても敬遠された。秋山要介の名を聞くと、「いやもう立ち会いは結構でござる。些少ながら旅用の足しに」こういってわらじ銭を出すのであった。というのは試合ぶりが世にも、荒っぽいものであって、小手を打たれると小手が折れる、横面を張られると耳がつぶれる、胴を取られると肋骨が挫《くじ》ける、もしそれお突きでやられようものなら、そのまま冥途へ行かなければならない。で、敬遠するのであった。彼の流儀は神陰流ではあったが、事実は
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