町、森田屋という国産問屋、それが私の隠れ家でした」「人形町の森田屋といえば、江戸でも一流の国産問屋だが、それがお前の隠れ家だとは、今が今まで知らなかった。……世に燈台《とうだい》下《もと》くらしというが、これは少々暗すぎたな。いや、どうも俺も駄目になった」またも平八は憮然《ぶぜん》として嘆息せざるを得なかった。「そのお前がどうしてまた、荒稼ぎをするようになったのかな?」「それには訳がございます。どうぞお聞きくださいますよう。ある日ヒョッコリ訊《たず》ねて来たのが、義兄弟の金子市之丞で、父の仇が討ちたいから、どうぞ助太刀をしてくれと、こう申すではございませんか。仇は誰だと訊きましたところ、赤格子九郎右衛門だというのです。その赤格子なら南洋にいる、どうして討つ気かと訊ねましたところ、最近日本へ帰って来て、銚子にいるというのです。そこでわたしも考えました。相手が赤格子九郎右衛門なら、持って来いの取り組みだ。それにおりから商売にも飽き、平几帳面《ひらきちょうめん》の素人ぐらしにも、どうやら面白味を失って来た。河育ちは河で死ぬ。よし一生の思い出に、それでは、もう一度海賊となり、赤格子めと張り合ってやろう。それがいいというところから、数隻の廻船を賊船に仕立て、昔の手下を呼び集め、なにしろ赤格子と戦うには、兵糧もいれば武器もいる。やれやれというので近海を、荒らしまわったのでございますよ」さすがにそれでも気が咎《とが》めると見え、こういうと森田屋は俯向《うつむ》いた。

    ムーと絶望した郡上平八

「なるほど」といったが平八は、しばらくじっと打ち案じた。「どうだろう森田屋、この俺を、船からおろしてはくれまいかな」「船をおりてどうなされます?」「実は」というと平八は、森田屋の側へズイと寄り、「さるお方に頼まれて、大事の密書を預かっているのだ。渡す相手は赤格子、そこでこんな変装までして、彼奴《きゃつ》の行方をさがしていたのさ。銚子にいると耳にしては、どうも一刻もうっちゃってはおけない。頼む、小船を仕立ててくれ。そうして銚子へ着けてくれ」
 これを聞くと森田屋は、にわかに当惑の表情をした。「旦那、せっかくのお頼みですが、どうもそいつだけは出来かねますなあ」「なぜ出来かねる? え、なぜだ?」「秋山先生のおいでを待って、赤格子攻めをやろうというのが、私達の計画なのでございますよ。その先
前へ 次へ
全162ページ中136ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング