見る見る賊船は位置を変え、八幡丸の船腹へ、ピッタリ船腹を食っつけてしまった。
この二人の問答を聞き、はっと思ったのは平八で、剣技神妙の侍が、秋山要介であろうとは、たった今し方感づいたところで、これには別に驚かなかったが、海賊船の頭領が、森田屋清蔵であろうとは、夢にも思わなかったところであった。
天保六花撰のその中でも、森田屋清蔵は宗俊に次いで、いい方の位置を占めていた。しかも人物からいう時は、どうしてどうして宗俊など、足もとへも寄りつけないえらもの[#「えらもの」に傍点]なのであった。気宇《きう》の広濶希望の雄大、任侠的の精神など、日本海賊史のその中でも、三役格といわなければならない。産まれは駿州江尻在、相当立派な網持ちの伜で、その地方での若旦那であり、それが海賊になったのには、いうにいわれぬ事情があったらしい。
海賊船は梵字丸《ぼんじまる》
郡上平八が隠居せず、立派な与力であった時分、その豪快な性質を愛し、二、三度|目零《めこぼ》しをしたことがあった。で清蔵からいう時は、まさしく平八は恩人なのであり、また平八からいう時は、恩を施してやった人間なのであった。
しかるに清蔵はここ七、八年、全く消息をくらましていた。もう死んだというものもあり、南洋へいったというものもあり、日本近海からは彼の姿は、文字どおり消えてなくなっていた。で、今度の海賊沙汰についても、彼の噂はのぼらなかった。したがって平八の心頭へも、清蔵の名は浮かんで来なかった。しかるにいよいよぶつかってみれば、その海賊は森田屋なのであった。
「俺はまたもや目違いをした」
思うにつけても平八は、憮然たらざるを得なかった。
この時|船縁《ふなべり》を飛び越えて、森田屋清蔵がやって来た。と見て取った平八は、つと前へ進み出たが、
「おお森田屋、久しぶりだな!」
「え?」といって眼を見張ったが、
「やあ、あなたは郡上の旦那!」
「ナニ、郡上?」といいながら、ツカツカやって来たのは武士であったが、
「うむ、それでは世に名高い、玻璃窓の郡上平八老かな」
「そうして、あなたは秋山殿で」「いかにも拙者は秋山要介、名探索とは思っていたが、郡上老とは知らなかった」「奇遇でござるな。奇遇でござる」二人はすっかりうちとけた。
「ヤイヤイ野郎どもトンデモない奴だ! 秋山先生と郡上の旦那へ、手向かいするとは不量見、あ
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