れで、そうしてその上が弦押しで」「矧《は》ぎ付きというのはどのへんだな?」
「弦押しの上部、ここでございます」「では、ここにある一文字は?」「船の眼目、すなわち船梁《ふなばり》」
「もうよろしい」といったかと思うと、武士は図面を巻き納めた。と、居住居《いずまい》を正したが、にわかに声を低目にし、「正直にいえ、職人ではあるまい」
「くどいお方でございますな」平八は多少ムッとしたが「なにを証拠にそんなことを。……わっちは船大工でございますよ」
「そうか」というとその武士は、平八の右手をムズと掴んだ。
「これは乱暴、なにをなされます」
ご禁制の二千石船
不意に驚いた平八が、引っ込めようとするその手先を、武士は内側へグイと捻った。逆手というのではなかったので、苦痛も痛みも感じなかったが、なんともいえない神妙の呼吸は、平八をして抗《あらが》わせなかった。
「さて、掌《てのひら》だ、ここを見ろ!」いうと一緒に侍は、小指の付け根へ指をやったが、「よいか、ここは坤《こん》という。中指の付け根ここは離《り》だ。ええと、それから人差し指の付け根、ここを称して巽《そん》という。ところで大工の鉋《かんな》ダコだが、必ずこの辺へ出来なければならない。しかるにお前の掌を見るに、そんなものの気振りもない。これ疑いの第一だ。それに反して母指《おやゆび》の内側、人差し指の内側へかけて、一面にタコが出来ている。これ竹刀《しない》を永く使い、剣の道にいそしんだ証拠だ。……が、まずそれはよいとして、ここに不思議なタコがある。と、いうのは三筋の脉《みゃく》、天地人の三脉に添って、巽《そん》の位置から乾《けん》の位置まで斜めにタコが出来ている。さあ、このタコはどうして出来た?」武士はニヤリと一笑したが、「お前、捕り縄を習ったな! アッハハハ、驚くな驚くな、すこし注意をしさえしたら、こんなことぐらい誰にでも解る。……さて次にお前の足だが、心持ち内側へ曲がっている。そうしてふくらはぎに馬擦れがある。これ馬術に堪能の証拠だ。ところで、捕り縄の心得があり、しかも馬術に堪能とあっては、自ら職分が知れるではないか。これ、お前は与力だろうがな! いや、しかし年からいうと、今は役目を退いている筈だ。……与力あがりの楽隠居。これだこれだこれに相違ない! どうだ大将、一言もあるまいがな」
武士は哄然と笑ったもので
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