ている筈だ。妹を江戸へ連れて来て、一緒に市中を廻ったら、よい手引きになろうもしれぬ」
復讐の念いよいよ堅し
そこで周作に暇を乞い、故郷の追分へ帰ることにした。
この頃お霜は油屋にいた。
一人の兄は非業《ひごう》に死し、もう一人の兄は他国へ行き、二、三親類はあるとはいえ、その日ぐらしの貧乏人で、片輪のお霜を引き取って、世話をしようという者はない。で甚三が殺されてからの、お霜の身の上というものは、まことに憐れなものであったが、捨てる神あれば助ける神ありで、油屋本陣の女中頭、剽軽者《ひょうきんもの》の例のお杉が、気の毒がって手もとへ引き取り、台所などを手伝わせて、可愛がって養ったので、かつえ[#「かつえ」に傍点]て死ぬというような、そんな境遇にはいなかったが、さりとて楽しい境遇でもなかった。自分はといえば唖者《おし》であった。周囲といえば他人ばかり、泣く日の方が多かった。自然兄弟を恋い慕った。
そこへ甚内が現われたのであった。
お霜の喜びも大きかったが、お杉もホッと安心した。
「おお甚内さん、よう戻られたな。お前さんの兄さんの甚三さんは、お前さんと同じ名の富士甚内に、むごたらしい目に合わされてな、今は石塔になっておられる」
お杉をはじめ近所の人達に、こんな具合に話し出されて、甚内は悲しみと怨みとを、またそこで新たにした。
貧しい二、三の親類や、近所の人達の情《なさけ》によって、営まれたという葬式の様子や、形ばかりの石塔を見聞きするにつれ、故郷の人々の厚情を、感謝せざるを得なかった。
「これから甚内さんどうなさる?」
こう宿の人に訊かれた時、甚内は正直に打ち明けた。
「草を分けても探し出し、敵を討つつもりでございます」
「おおおお、それは勇ましいことだ」宿の人達は驚きながらも、賞讃の辞を惜しまなかった。
追分宿で七日を暮らし、いよいよ江戸へ立つことになった。心づくしの餞別も集まり、宿の人達は数を尽くして、関所前まで見送った。妹お霜を馬に乗せ、甚内自身手綱を曳き、関所越えれば旅の空、その旅へ再び出ることになった。
見れば三筋の噴煙が、浅間山から立っていた。思えば今年の夏のこと、兄甚三に送られて、この曠野まで来た時には、緑が鬱々《うつうつ》と茂っていた。その時甚内の乞うに委《まか》せ、甚三の唄った追分節は、今も耳に残っていた。しかるに今は冬の最中
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