ブテの手並みを見るに及んで、俺の不安は杞憂となった。一本二本では討ち取れないにしても、三本目には斃すことが出来よう」「へえ、大丈夫でございましょうか」「大丈夫だ。保証する」「有難いことでございます」
こうして甚内はこの日以来、千葉道場の内弟子となり、五寸釘手裏剣の妙法を周作から伝授されることとなった。教える周作は天下一の剣聖、習う甚内には下地がある。これで上達しなかったら、それこそ面妖といわざるを得ない。
ところで一方甚内は、武芸を習う余暇をもって、江戸市中を万遍《まんべん》なくあるき、目差す敵《かたき》を探すことにした。しかし直接の用事もないのに、広い市中をブラブラと、手ぶらであるくということは、かなり退屈なことであった。そこでいろいろ考えた末、「追分を唄って合力を乞い、軒別に尋ねてあるくことにしよう」こういうことに心をきめた。
既に以前《まえかた》記したように、元来甚内は追分にかけては、からきし唄えない人間であった。それが一夜奇怪な理由から、唄えるようになってからは、彼はにわかに興味を覚え、ない歌詞までも自分で作って、折にふれては唄い唄いした。しかるにまことに不思議なことには、彼の唄の節たるや、兄甚三そっくりであった。ちょうど甚三その人が、甚内の腹にでも宿っていて、その甚三の唄う唄が、甚内の口から出るのではないかと、こう疑われるほどであった。で、誰か追分宿あたりで、甚三のうたう追分を聞き、さらに大江戸を流して歩く、甚内の追分を耳にしたとしたら、その差別に苦しんで、恐らくこういうに違いない。
「いやいやあれは甚三の唄だ。もし甚三が死んでいるとすれば、甚三その人の亡魂の唄だ」
とまれ甚内は追分を唄って、江戸市中をさまよった。しかし敵の手がかりはない。そこでまた彼は考えた。
「油屋お北は知っている。だが肝腎の富士甚内を、俺は一度も見たことがない。彼奴《きゃつ》について聞き知ってることは、非常な美男だということと、着物につけた定紋が、剣酸漿《けんかたばみ》だということだけだ。これではよしや逢ったところで、彼奴《きゃつ》が紋服を着ていない限りは、敵だと知ることが出来ないだろう。これはどうも困ったことだ」
これは実際彼にとって、何よりも辛い事柄であった。しかしとうとう考えついた。
「うん、そうだ、いいことがある。唖者《おし》ではあるが、妹のお霜は、富士甚内を見知っ
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