《もなか》、草木山川|白皚々《はくがいがい》、見渡す限り雪であった。自然はことごとく色を変えた。しかし再び夏が来れば、また緑は萌え出よう。だが甚三は帰って来ない。遠離茫々《えんりぼうぼう》幾千載。たとえ千載待ったところで、死者の甦えった例《ためし》はない。如露《にょろ》また如電《にょでん》これ人生。命ほどはかないものはない。
 人は往々こういう場合に、宗教的悟覚に入るものであった。しかし甚内は反対であった。
「この悲しさも、このはかなさも、富士甚内とお北とのためだ。討たねば置かぬ! 討たねば置かぬ! 敵の名前は富士甚内、富士に対する名山と云えば、俺の故郷の浅間山だ。それでは今日から俺が名も、浅間甚内と呼ぶことにしよう。聞けば昔京師の伶人、富士と浅間というものが、喧嘩をしたということだが、今は天保|癸未《みずのとひつじ》ここ一年か半年のうちには、どうでも敵を討たなければならぬ」
 いよいよ復讐の一念を、益※[#二の字点、1−2−22]ここで強めたのであった。

 二人が江戸へ着いたのは、それから間もなくのことであった。
 子柄がよくて不具というので、かえってお霜は同情され、千葉家の人達から可愛がられ、にわかに幸福の身の上となった。
 爾来二人は連れ立って、時々市中を彷徨《さまよ》ったが、甚内が唄う追分たるや、信州本場の名調なので、忽ち江戸の評判となった。ひとつは歌詞がいいからでもあった。
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日ぐれ草取り寂してならぬ、鳴けよ草間のきりぎりす
親の意見と茄子《なすび》の花は、千に一つのむだもない
めでた若松|浴衣《ゆかた》に染めて、着せてやりましょ伊勢様へ
思いとげたがこの投げ島田、丸く結うのが恥ずかしい
かあいものだよ鳴く音《ね》をとめて、来たを知らせのくつわ虫
百日百夜《ももかももよ》をひとりで寝たら、あけの鶏《とり》さえ床《とこ》さびし
浅間山風吹かぬ日はあれど、君を思わぬ時はない
よしや辛かれ身はなかなかに、人の情の憂やつらや
見る目ばかりに浪立ちさわぎ、鳴門船《なるとぶね》かや阿波で漕ぐ
月を待つ夜は雲さえ立つに、君を待つ夜は冴えかえる
君と我とは木框《きわく》の糸か、切れて離れてまたむすぶ
山で小柴をしむるが如く、こよいそさまとしめあかす
[#ここで字下げ終わり]
 多くは甚内自作の歌詞で、情緒|纏綿《てんめん》率直であるのが、江戸の人気
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