なるほど、女の足跡だ。が、子供の足跡ともいえる」一閑斎は呟いた。
「よろしい、それではもう一つ、動かぬ証拠をお目に掛けよう」平八は懐中へ手を入れると、さっき拾った黒い物を、一閑斎の前へ突き出した。
「おやおやこれは女の頭髪《かみのけ》……」
「根もとから一太刀できり落とした、刀の冴えをご覧《ろう》じろ。きり[#「きり」に傍点]手は武辺者に相違ござらぬ。しかも非常な手練の武士だ。……ところでその髪の髷《まげ》の形を、一閑老にはご存知かな?」「勝山《かつやま》でなし島田《しまだ》でなし、さあ何でござろうな」「その髷こそ鬘下地《かつらしたじ》でござる」「鬘下地? ははアこれがな」「したがって女は小屋者《こやもの》でござる。女義太夫か女役者でござる」「で、その女はどうしましたな? 締め殺されて川の中へでも、投げ込まれたのではありますまいかな?」「いや、それにしてはもがいた跡がない。人一人|縊《くび》れて死のうというのに、もがかぬという訳はない」「切られもせず縊られもせず、しかも姿が見えないとは、天へ昇ったか地へ潜ったか、不思議な事があればあるものだ」「駕籠へ乗って水神の方へ急いでひき上げて行ったのでござるよ」郡上平八は自信を持っていった。
「それには証拠がござるかな?」
「さよう、やはり足跡だが、まずこっちへ」といいながら、川に向かった土手の腹を、川の岸まで下りて行ったが、低く提灯を差し出すと、それで雪の上を照らしたものである。二つずつ四つの足跡が、規則正しい間隔を保って、川下の方へついていた。いうまでもなく駕籠舁きの足で、彼らは駕籠を担《かつ》ぎながら、堤の下を川に添い、水神の方へ行ったものと見える。一閑斎と平八とは、川下の方へ足跡を追って、十間余りも行って見た。すると足跡が見えなくなった。しかしそれは消えたのではなく、土手の腹を堤の上へ、同じ足跡がついていた。駕籠を担いだ駕籠舁きが、そこから堤へ上ったものであろう。そこで二人も堤へ上った。はたして同じ足跡が、堤の上を規則正しく水神の方へついていた。
「おや!」と突然一閑斎は不思議そうに声を張り上げた。「ここに見慣れない足跡がござる」
 いかにも見慣れない足跡が、駕籠舁き二人の足跡に添って、一筋水神の方へついていた。
「さよう、見慣れない足跡がござる」平八の声は沈痛であった。「これこそ鼠小僧と想像される、ある一人の足跡でご
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