》りめ!」
 と、人々は、それを聞くとまず云った。
「この結構な住居《すまい》を捨て、先祖代々怨み重なる下界の人間と一緒になるとは神罰を恐れぬ馬鹿な女だ。恐らく将来《ゆくすえ》よい事はあるまい、後悔するに相違ない」
 こう云って彼らは部落を去った女を、あるいは憎みあるいは憐れんだ。
 しかし今は早春であり部落は雪に包まれている。彼らにとっての享楽時代である。で、彼らは平素《ふだん》であったならもっともっと大騒ぎでもっともっと非難攻撃すべきこの重大の裏切り事件をも案外|暢気《のんき》に見過ごした。そういう他人の事件に関係《かかわ》り大事な時間を費やすより、自分自身快楽に耽《ふけ》り、いわゆる年中での遊び月を充分に遊んで暮らした方が幸福であると思ったからであろう。
 とは云え、許婚《いいなずけ》の岩太郎と山吹の父の杉右衛門とは他人のようにそう簡単に見過ごすことは出来なかった。
 まず岩太郎の心持ちから云えば、嫉妬、憤怒、そして悲哀。――この三つの感情が胸の中で取っ組み合い一時の平和さえ得られないのであった。
 で、せめて身体《からだ》を疲労《つか》らせ、それによって心の苦痛悲哀を痲痺《まひ
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