駄話をする。それ以外には用はない。
 彼らの話の題材と云えば「宗介天狗」の事ばかりで、彼らにとって「宗介天狗」は誰よりも尊い守り本尊であった。
 もちろん白法師の噂も出た。
「部落の平和を破る者だ」
 こう云って人々は憎むのであった。――しかし概《がい》して冬の間は彼らの部落は平和であった。

 深山の夜は更けていた。
 空に幽《かす》かに月がある。
 見渡す限り雪に蔽《おお》われ森も林も真っ白である。
 と、一点黒い影が雪の上へ浮かび出た。熊か? いやいや人間らしい。しかもどうやら重い物を背中に背負っているらしい。ノロノロ蠢《うごめ》きながら近寄って来る。
 ここは八ヶ嶽の中腹である。窩人の部落からは真下に当たる「鼓《つづみ》ヶ|洞《ほら》」という谷間である。正面に絶壁が聳《そび》えている。
 その絶壁の下まで来ると黒い人影は立ち止まった。
「おい」
 と、不意に呼びかけた。
「俺だ俺だ早く戸を開けてくれ」――囁《ささや》くような声である。
 誰をいったい呼んでいるのであろう。誰もその辺にはいないではないか。それに戸を開けろと云ったところでどこにも家などないではないか。
 森然《しん
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