ものは人の愛だ! いつまでもいつまでも愛し愛さなければなりません。二人のうちの誰か一人がもしこの愛を破ったならその人は恐らく底の知れない不幸の淵へ沈むでしょう」
「はい」
 と岩太郎は涙を流し、つつましく丁寧《ていねい》に頭を下げたが、
「たとえ殺すと云われましても今日のお教えに背《そむ》くようなことは必ず私は致しませぬ。……山吹! お前はどうする気だな?」
「岩さん、妾《わたし》が悪かった。もうどこへも行く気はないから悪く思わずに堪忍《かんにん》しておくれ」
「おおそうか、有難てえなア。何んの許すも許さぬもねえ。俺《わし》の方から礼を云うよ」
 二人はひしと抱き合った、すすりなきの声が聞こえて来る、岩太郎の胸へ顔を埋めたそれは山吹の泣き声である。すなわち甘い誘惑のために危うく足を踏みはずそうとして、わずかに助けられた悲喜の情が泣き声となってほとばしったのである。
 誰もじっと黙っている。
 秋の真昼は静かである。
 さっきから門口に佇《たたず》んで様子を見ていた牛丸は、この時つかつか[#「つかつか」に傍点]とはいって来たがさもさも感嘆したように妙な人へ話しかけた。
「あなたは偉い方で
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