ね》めが春の月夜に浮かされてやって来たのでもござろうか」
「ナニ狐?」と紋兵衛は、恐怖の瞳を踴《おど》らせたが、「追ってくだされ! 俺は狐が大嫌いだ!」
「よろしゅうござる」
と大儀そうに、聞太はスックリ立ち上がったが襖《ふすま》を開けると隣室へ行った。障子《しょうじ》を開ける音がする。雨戸をひらく音もする。
「アッハハハハ」
と笑い声がすると、雨戸や障子が閉《た》てられた。
聞太は部屋へはいって来たが、
「狐ではなくて犬でござった。黒めが尾を振っていましたわい」
「犬でござったのかな。それで安心」紋兵衛はホッと溜息をした。
暫時《ざんじ》部屋は静かである。
と、紋兵衛は悲しそうな声で、
「ああ私《わし》は眠りたい。眠って苦痛を忘れたい……北山《ほくざん》先生、薬くだされ!」
天野北山は黙っていた。
長崎仕込みの立派な蘭医《らんい》、駿河守の侍医ではあったが、客分の扱いを受けている。江戸へ出しても一流の先生、名聞《みょうもん》狂いを嫌うところからこのような山間にくすぶってはいるがどうして勝れた人物であり、いかに相手が金持ちであろうと人格の卑しい紋兵衛などの附き人などに成る
前へ
次へ
全368ページ中134ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング