」「ヨイショ」「ドッコイ」
こういう掛け声が聞こえて来た。それは二人の声であって、重い物でも持っているらしい。しかし姿は見えなかった。と云うのは夜だからで、しかも所は八ヶ嶽の天狗の宮の真後ろの崖で、早春のことであったから氷雪が厚く積もっている。雪は今し方止んだばかりで、雲間を洩れた月光が斜めに崖を照らしている。
その崖には斜めに高く人工の道が出来ている。半年の月日を費《つい》やして根気よく多四郎が造ったもので、今、その道を上の方から二人の男が下りて来る。
「ヨイショ」「ドッコイ」と忍び音に互いに声を掛け合いながらソロリソロリと下りて来る。
それは多四郎と権九郎とで、菰《こも》に包んだ太短い物をさも重そうに担《かつ》いでいる。
すっかり崖を下りきった所で二人はホッと吐息をして、
「もう一息だ、やってしまおうぜ」
「合点」と権九郎が合槌《あいづち》を打つ。
で、また二人は荷物を担いで、そばに立っている木小屋の前を足音を立てずに通り過ぎ、雪を冠《かぶ》って聳《そび》えている森の方へ歩いて行った。
間もなく森へはいったが、大きな杉の根方から犬の啼き声が聞こえて来た。
「これ! 畜生!」と叱りながら二人はそっちへ近寄って行く。そこに一台の犬橇《いぬぞり》があって人の乗るのを待っていた。
「どっこいしょ」と云いながら、二人は荷物を重そうに橇の上へズシリと置いたが続いて自分達も飛び乗った。権九郎が手綱を取り多四郎が荷物の側へ寄る。ピシッと一鞭くれながら権九郎は振り返った。
「おい多四郎どうしたものだ。せめてお別れの挨拶でもしねえ、振り返って小屋ぐらい見たがよかろう。……ヒューッ」
と口笛で犬をあやす[#「あやす」に傍点]。すると巨大な三頭の犬はグイと頭を下へ垂れ後脚へ力をウンと入れた。とたんにスルリと前へ出る。パッと立つ雪煙り、静かに橇は辷《すべ》り出た。
「へ」
と多四郎は鼻で笑ったが、「俺《おい》らアそんな甘いんじゃねえよ。……部落の女《あま》がどうしたって云うんだい」
「おおおお偉そうに云ってるぜ。へ、どうしたが呆れ返らあ。お前一時はあの女で血眼《ちまなこ》になっていたじゃねえか」
「うん、そうよ、一時はな。……窩人窩人で城下の奴らが鬼のように恐れているその窩人の娘とあっては、ちょっと好奇心《ものずき》も起ころうというものだ。それに容貌《そっぽ》だって相当踏める。変わった味だってあるだろう。当座の弄《なぐさ》みにゃ持って来いだ。お前だってそう思うだろう」
「ところで味はよかったかな」
「俺にとっちゃ初物だった。第一体がよかったよ。色の白さと柔かさとに羽二重《はぶたえ》というより真綿だね。それに情愛の劇《はげ》しさと来たら、ヒヒヒヒ、何んと云おうかな」
「畜生!」
と権九郎は叫びながらヒューと鞭《むち》を空に振り一匹の犬を撲《なぐ》りつけたが、「へ、うまくやりやがったな。人里離れた山奥の木小屋の中で二人っきりでよ、何をしたか知れたものじゃねえ、飽きるほどふざけたに違えねえ」
「当たらずといえども遠からずさ」
「それだけの女を振りすてて何んでまたお前は逃げるんだい。こいつが俺にゃ解らねえ」
「そいつあ今も云った筈だ。たかが窩人の娘じゃねえか。まさか一生|添《そ》うことも出来めえ」
「ふん、それじゃ飽きたんだな」
「正直のところまずそこだね」
「それにしては智恵がねえな」権九郎は嘲笑《あざわら》った。
「智恵がねえ? この俺がな?」
多四郎はにわかに眼を丸くする。
「捨ててしまうとは勿体《もったい》ねえ話だ。瞞《だま》して城下へ連れて来てよ、女衒《ぜげん》へ掛けて売ったらどうだ」
「へん、なんだ、そんな事か、孔明の智恵も凄《すさま》じいや。そんなことなら迅《と》くより承知よ」
「ナニ承知? ……何故しねえ」
「つまり玉なり[#「なり」に傍点]が異《ちが》うからさ」
「聞きてえものだ、どう異うね?」
「里の女ならそれもよかろう。思い込んだが最後之助、どんな事でもやり通そうという窩人の娘にゃ向かねえね」
「ふん、どうして向かねえんだい?」
「そんな気振りでも見せようものなら、こっちが寝首を掻かれるくらいよ」
「へえ、そんなに凄いんかい」
「何しろ向こうは夢中だからな」
「こら、畜生! 道草を食うな」
権九郎は自棄《やけ》に怒鳴りながら横へ逸《そ》れる犬を引き締めた。「雪の降ってる冬の夜中だ。道草食うにも草はあるめえ、トットットットッ。走れ走れ!」
権九郎はむやみと鞭を振る。
一八
雪で蔽《おお》われた森や林が蒼い月光に照らされて幽霊のように立っている。橇が走るに従ってだんだんそれが近寄って来る。やがて橇が行き過ぎるとそれもだんだん後《あと》の方へ小さく小さく消えて行く。白無垢《しろむく》を着た険し
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