い日にどうして休んだね?」北山は尚も何気なさそうに訊いた。
 若者はちょっと眉をひそめた。いらざるお世話だと云いたげであった。でも、渋々とこんなことを云った。
「何もね、休みたかあなかったんで……太夫が一人もいないんでね……で、仕方なく休んだんでさあ」

         二六

「ほほう、山男達はいないのかい」失望もし驚きもし、こう北山は大声で云った。「じゃあ山へ帰ったんだね」
「山へ帰ったか里へ行ったか、何んで私が知りますものか」
「で、いつからいないのかな?」
「昨夜《ゆうべ》からでさあ、火事のあった頃から」
「では無断で逃げたんだな」
「逃げたには相違ありませんがね。道具をみんな[#「みんな」に傍点]置いて行ったので、いずれ帰っては来ましょうよ」
「道具?」と北山は眼を光らせた。「で、動物はどうなっている」
「つまりそいつが道具なんで……熊や猿や狼などを、ほったらかし[#「ほったらかし」に傍点]たまま行っちまったんで」
「たしか蛇もいたようだが?」こう探るように北山は訊いた。
「ええおりますよ、幾通りもね」
 北山は懐中へ手を入れた。紙入れを取り出し小粒を摘《つま》み、クルクルとそれを紙へ包んだ。
「少いけれど取ってお置き」
「これは旦那、済みませんねえ」
 小屋者はヒョロヒョロ辞儀をした。
「ところでちょいと頼みがある。動物を見せてはくれまいか」
「へえへえお易いご用です」
 若者は小屋の中へはいって行った。北山は後から従いて行った。
 小屋の中は薄暗く、妙にジメジメと湿っていた。小屋を抜けて庭へ出た。そこに幾個《いくつ》かの檻《おり》があった。いろいろの動物が蠢《うごめ》いていた。
 一つの小さな檻があった。
 その中に五、六匹の小蛇がいた。卯の花のように白い肌へ、陽の光がチラチラとこぼれ[#「こぼれ」に傍点]ていた。一尺ほどの小蛇であった。みんな穏《おとな》しく眠っていた。
 北山はその前で足を止めた。
 それから蛇を観察した。
「ねえ、若衆、綺麗な蛇だね」
 北山は若者へ話しかけた。
「綺麗な蛇でございますな。だが、大変な毒蛇だそうで」若者は恐《こわ》そうに檻を覗いた。
「何んという蛇だか知っているかね」
「山男達が云っていました。信州の国は八ヶ嶽、そこだけに住んでいる宗介蛇《むねすけへび》だってね」
「宗介蛇とは面白いな」北山はちょっと微笑した。
「蘭語でいうとエロキロスというのだ」
「へえ、エロキロス、変な名ですなあ」
「蛇は六匹いるようだね」
「昔は十匹おりましたが、今じゃあ六匹しかおりません。山男達の話によると、三匹がところ、盗まれたそうで」
「十匹で三匹盗まれりゃあ、後七匹いる筈だが、ここには六匹しかいないじゃあないか。後の一匹はどうしたね」
「ああ後の一匹ですか、さっき人が来て買って行きました」
「え?」
 と北山は眼を見張った、「ふうむ、この蛇をな、買って行ったんだな」「へえさようでございますよ」「どんな様子の人間だったな?」「五十恰好の商人風、江戸の人じゃあありませんな。贅沢《ぜいたく》な様子をしていましたよ。田舎の物持ちと云った風で」
 北山は黙って考え込んだ。腹の中で呟《つぶや》いた。
「今夜が危険だ。うっちゃって[#「うっちゃって」に傍点]は置けない」で彼は卒然と云った。「私《わし》にも蛇を売ってくれ」
「おやおやあなたもご入用なので」
「で、一匹幾らかな」
「さっきのお方は一匹一両で……」
「よし、私《わし》も一両で買おう」
 北山は紙入れを取り出した。小判六枚を掌《てのひら》へ載せた。
「さあ六両、受け取ってくれ」
「へえ、六両? どうしたので?」
「六匹みんな買い取るのさ」
「そいつあどうも困りましたねえ」
 若者は小判と北山の顔とをしばらくの間見比べていた。
「どうして困るな? 困る筈はあるまい」
 しかし若者は頭をかいた。
「どうもね、旦那困りますので。だってそうじゃありませんか、この白蛇は山男の物で、私の物じゃあございません」
「では何故一匹売ったんだ?」北山は叱るように声を強めた。「一匹も六匹も同じじゃあないか」
「いいえ、そんな事はありません。一匹や二匹なら逃げたと云っても、云い訳が立つじゃあありませんか」
「六枚の小判が欲しくないそうな」北山は小判を掌の上で鳴らした。「……死んだと云えばいいじゃないか」
「でも死骸がなかったひには」尚若者は躊躇《ちゅうちょ》した。しかしその眼は貪慾《どんよく》らしく、小判の上に注がれた。
「いや死骸ならくれてやるよ」
 北山は小判を突き付けた。「それなら文句はないだろう」

         二七

 若者は小判を手に受けた。
「どうしてご持参なさいます?」
「持って帰るには及ばないよ」
 北山は懐中から黄袋を出した。「食い合いっ振りが見
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