に見られ、河開《かわびら》きにはポンポンと幾千の花火が揚がるんですよ。それより何より面白いのは歌舞伎《かぶき》狂言|物真似《ものまね》でしてね。女役《おやま》、実悪《じつあく》、半道《はんどう》なんて、各自《めいめい》役所《やくどこ》が決まっておりましてな、泣かせたり笑わせたり致しやす。――春の花見! これがまた大変だ!」
八
「え、大変とおっしゃると?」
山吹は顔を上気させ眼をうるませて聞き惚れていたが吃驚《びっくり》したようにこう云った。
「何、大変と申したところで悪い意味じゃありませんよ。つまり素晴らしいと云ったまで。――そりゃア素晴らしゅうござんすよ。この辺に咲く山桜、あんなものじゃあありませんね。桃色大輪の吉野桜、それが千本となく万本となく、隅田《すみだ》の堤《どて》、上野の丘に白雲のように咲き満ちています。花見|衣《ごろも》に赤|手拭《てぬぐ》い、幾千という江戸の男女が毎日花見に明かし暮らします。酒を飲む者。踊りを踊る人。伽羅《きゃら》を焚いて嗅《か》ぐものもある。……」
「まあ」――と山吹は感嘆の声を思わず口から洩らしたが、「そういう江戸には美しいお方が沢山《たくさん》おいででございましょうねえ」
「それは沢山おりますとも。それに扮装《みなり》が贅沢《ぜいたく》ですよ。衣裳はお召し。帯は西陣。長襦袢《ながじゅばん》は京の友禅縮緬《ゆうぜんちりめん》。ご婦人方はお化粧をします。白粉《おしろい》に紅《べに》に匂いのある油……」
「まあ」
とまたも感嘆して山吹は溜息《ためいき》を洩らしたが、
「ああ妾《わたし》行って見たい。ああ妾行って見たい!」と夢見るような声で云った。若い娘の好奇心と若い娘の虚栄心とから迸《ほとばし》り出た声である。
「しめた!」と多四郎は思ったがそういう様子は※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]《おくび》にも出さず至極《しごく》真面目の顔付きで、
「江戸へ行きたいとおっしゃるので? おいでなさりませご案内しましょう。ですから私はお逢いするたびに申しておるではありませんか。あなたのような美しい方が何んでこのような山の中の、しかも窩人《かじん》の部落などにいつまでもおいでなさるかとね」
「でも……」と山吹は云いよどんだ。「何んにも知らない田舎者がそのような繁華の土地へ出てあちこち[#「あちこち」に傍点]で恥を掻くよりもいっそやっぱりここにいて兎や猿と暮らした方が身のためになりはしますまいか」
「その心配はご無用です。この多四郎が付いておりやす」彼はポンと胸を叩いたがこういう気障《きざ》なやり口も浮世を知らぬ山の娘にはかえって頼《たの》もしく思われるらしい。で、彼女は莞爾《にっこ》りした。
「あの、そうしてあなたのお家も、お江戸にあるのでございましょうねえ?」
「お江戸? そうそう江戸にあります」
こう多四郎は云ったものの心中ギクリとしたのであった。彼は城下の人間で江戸などに邸はないからである。
「広いお家でございましょうねえ?」
山吹はまたも恍惚《うっと》りと訊く。
「え、私の家ですかな? ……ええまあ随分広うごすなあ」――その実多四郎は家ときたら一間《ひとま》しかない裏店《うらだな》なのである。
「ご家内も随分多いんでしょうねえ?」
「家内ええと、二、二十人」――彼は思わず額《ひたい》を拭いた。汗が滲《にじ》んで来たからである。その筈である。彼の家族は彼と母親との二人きりなのだから。
「ああ、駄目だわ! 妾なんか!」
突然絶望の声を上げ、山吹が両眼を抑《おさ》えたので多四郎はギョッとして腰を浮かせたが、何が駄目なのか解らない。
「ああ、妾なんか及ばないわ!」
再び彼女は叫んだものである。
「及ばない? 何が? どうしてですな?」
云いながら好機|逸《いっ》すべからずと彼は山吹の手をとった。それからそっと腰をかける。
山吹も今度はとられた手を振り放そうとはしなかった。じっとそのままとらせている。
「でもやっぱり行きたいわ。……」
囈語《うわごと》のようにこう云って彼女は多四郎の顔を見たが、
「あなたはどういうご身分のお方? お侍《さむらい》さんではありませんわねえ」
「違いますとも。そうではありませんとも」
「では、お百姓? ああ商人ね! 大きな大きな商人ね! でもどうしてそんなお方が行商などをなさいますの?」
「さあ、そこです。……」
と、多四郎は、また額を磨《こす》ったが、
「つまり、見習いをしているので。……」
「ああそう、それで解りました」
山吹はそこで押し黙って何か空想にふけり出した。と、多四郎は彼女の手を自分の口まで持って来てつと[#「つと」に傍点]唇を着けようとする。その手を山吹はちょっと引いたがそれは無心でしたことであった。そんな事より
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