七
牛丸は部屋の中を見廻したが盆に高く積まれてある秋栗の山を見付けると、
「姉さん誰かお客さんがあったの?」
「ああ、あったよ岩太郎さんがね……」
「ああそう、あの人はいい人だねえ。俺《おい》らあの人大好き。多四郎さんのようにお洒落《しゃれ》でなく、それに部落の人だからね。……何故《なぜ》早く岩さん帰ったんだろう?」
「憤《おこ》って帰って行ったんだよ」
二人はちょっと眼を見合わせたがそのまましばらく黙っていた。
林から林へ移って行く小鳥の群が幾度となく二人の前を過ぎて行った。風もないのにホロホロホロホロと紅葉《もみじ》が庭へ降って来る。草叢《くさむら》からピョンと飛び出して峰の方へ颯《さっ》と走って行ったのは栗色をした兎《うさぎ》である。ケーンケーンと森の奥から雉の啼き声が聞こえて来る。時々|雹《ひょう》でも降るかのように林の中から聞こえて来るのははぜ[#「はぜ」に傍点]た大栗が転がり落ちるのである。
事のない時の部落の光景はまことに平和なものである。
「や、来たらしい。足の音がするよ。多四郎さんが来たんだよ」
牛丸はこう云って坂の方を首をのばして見やったが、
「下界の奴なんか意気地なしさね、あんな坂を上るのに大息を吐いているんだからな。――俺らはそれでは林へ行って今度は山鳥でも捕ってやろう」
牛丸はそのまま走り出したが、やがて林に隠れてしまった。同時にひょっこり[#「ひょっこり」に傍点]坂の登り口へ形のよい姿を現わしたのは問題の主の多四郎であった。
彼は年の頃二十四、五、都風《みやこふう》に髪を結《ゆ》い当世風の扮装《みなり》をし色白面長の顔をした女好きのする男であったが、眼に何んとなく剣があり、唇が余りに紅いのは油断の出来ない淫蕩者《いんとうもの》らしい。肩に振り分けにして掛けているのは麓の城下から持って来るところの色々の珍らしい器具《うつわ》や食物《たべもの》で、つまり彼は山と城下とを往来している行商人なのであった。
「お、これは山吹様、あなたお一人でございますかな? お父様はどこへ参られましたかな? え、寄り合いにおいでなされたと?」
多四郎は愛想よく笑いながら山吹の側《そば》へやって来たが上がり框《がまち》へ腰を下ろした。
山吹は何んとなく狼狽して思わず顔を赤らめたりしたが、
「はい、お父様は寄り合いで天狗の宮まで参りました。白法師様を縛《から》め取るための相談なのでございましょうよ」
「あっちへ行っても白法師こっちへ来ても白法師。どうやらお山は白法師のために荒らされているようでございますなあ」
諂《へつら》うように微笑したが、
「私のためには結句《けっく》幸い。何んとそうではございませぬかな」彼はそろそろと手を延ばして山吹の方へ近寄って行く。
「それはまた何故でございますの」
「だってそうではございませんか。こうしてたった二人きりで差し向かっていることの出来ますのもその白法師様のお蔭ですからな」
云いながら素早く山吹の手をギュッと握ったが、そこは初心《うぶ》の娘である。「あれ!」と仰山《ぎょうさん》な金切り声を上げ握られた手を振り解《ほど》いた。
「エヘヘヘヘ」
と笑ったものの多四郎は少なからずテレたものか、テレ隠しに盆の上の栗を摘《つま》んだ。
「ほほう大きな栗ですなあ」わざとらしく眼を見張る。
「よかったらお食《あが》りなさりませ」笑止らしく山吹はこう云った。「余り物ではございますけれど」
「へ、余り物とおっしゃると?」
「あの、お客がありましたのよ」
「あなた一人の所へね?」もう嫉妬《しっと》からの詮索《せんさく》をする。
「ええ心やすい人ですもの。岩さんという方ですわ」
彼女は無邪気《むじゃき》に云うのであった。
「妾《わたし》の従姉兄《いとこ》に当たりますの」
「それじゃ部落の人ですね」さも嘲《あざ》けった様子をして、
「へ、熊猪《くまじし》のお仲間か! ところで先日の話の続きを今日はお話ししましょうかな」
「どうぞ」
と山吹は乗り出して来たがもうその眼は恍惚《うっと》りとなり胸をワクワクさせているらしい。
「それジワジワとおいでなすったぞ。この大江戸の話ばかりが資金《もとで》いらずの資金というものさ。田舎《いなか》の女を誑《たら》すにはこれに上越《うえこ》すものはないて」
――多四郎はこんなことを思いながら上唇をペロリとなめ、
「……何が美しいと云ったところで江戸の祭礼《まつり》に敵《かな》うものはまず他にはありませんな。揃いの衣裳。山車《だし》屋台。芸妓《げいしゃ》の手古舞《てこま》い。笛太鼓。ワイショワイショワイショワイショと樽《たる》天神を担《かつ》ぎ廻ります。それはたいした[#「たいした」に傍点]景気でさあね。……大名行列もふんだん[#「ふんだん」に傍点]
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