る廊下の諸所で、人獣争闘が行われた。
猛獣は部屋の中へ混み入った。
そこでも格闘が行われた。
鏡葉之助は切って廻った。
落ちていた刀を拾い取った。右手《めて》に刀|左手《ゆんで》に脇差し、彼は二刀で切り捲くった。彼の周囲には狼や犬が、いつも十数頭従っていた。
一八
「教主はどこだ、教主をやっつけろ」
葉之助は探し廻った。
急に廊下が左へ曲がった。
と、教主の一団が見えた。真っ黒に塊《かた》まって走っていた。
葉之助は追い詰めた。
手近の一人を切り仆した。ワーッという悲鳴が起こり、パッと血汐が左右に飛んだ。
彼らの中の数人が、にわかに健気《けなげ》にも取って返した。
葉之助は右剣を斜めに振った。バッタリ一人が床の上へ仆れた。そこへ一人が飛び込んで来た。と、葉之助は左剣で払った。一つの首が床の上へ落ち、ドンという気味の悪い音を立てた。
後の二人は逃げ出した。すぐに狼が飛びついた。そうして喉笛《のどぶえ》を噛み切った。虚空《こくう》を掴《つか》む指が見えた。
教主の一団は遠ざかった。
葉之助は後を追った。
狼と犬とが従った。
ふたたび彼らへ追いつこうとした。
にわかに彼らが立ち止まった。
彼らの顔は笑っていた。走って来る葉之助を凝視した。悪意を持った嘲笑であった。
つと[#「つと」に傍点]一人が前へ進み、廊下の壁へ手を触れた。とたんに廊下の板敷が外れ、葉之助は床下へ落ち込んだ。
彼らはドッと笑声を上げ、そのままドンドン走って行った。
と、数匹の狼が、ヒュウヒュウと床下へ飛び込んだ。間もなく次々に飛び出して来た。巨大な一匹の狼の背に、葉之助はしがみついていた。彼は左の手を挫《くじ》いていた。動かすことが出来なかった。劇《はげ》しい痛みに堪えられなかった。で、彼は転げ廻った。土佐犬が悲しそうに吠え立てた。
しかし狼は吠えなかった。葉之助の周囲へ集まって来た。挫いた左の腕の附け根を暖かい舌で嘗め廻した。
獣には獣の治療法があった。彼ら特色の治療法であった。彼らの唾液《だえき》は薬であった。暖かい舌で嘗め廻すことは、温湿布に当たっていた。鏡葉之助の体には、窩人の血汐が混っていた。
窩人と獣とは友達であった。
獣特色の治療法は、一面窩人の治療法でもあった。
葉之助の痛みは瞬間に止んだ。腕の運動も自由になった。
彼の勇気は恢復《かいふく》した。
彼は猛然と立ち上がった。
それから彼は追っかけた。
教主達の姿は見えなかった。どうやら廊下を曲がったらしい。葉之助と狼と土佐犬とは、廊下を真っ直ぐに走って行った。と、廊下は右へ曲がった。葉之助も右へ曲がった。彼らの姿は見えなかった。廊下をズンズン走って行った。すると廊下は突き当たった。頑固な石壁が立っていた。
「はてな?」
と葉之助は途方に暮れた。
「行き止まりだ。途《みち》がない。あいつらはどこへ行ったのだろう?」
突然一匹の土佐犬が、一声高く咆吼《ほうこう》した。壁に向かって飛び掛かった。
果然壁に穴が開いた。
そこに開き戸があったのであった。
犬はヒラリと飛び込んだ。
同時にギャッという悲鳴が聞こえた。
首を切られた犬の死骸が、ピョンと廊下へ刎ね返って来た。
向こう側に誰かいるらしい。待ち伏せをしているらしい。
犬達は喧騒《けんそう》した。つづけて二、三匹飛び込もうとした。
「叱《しっ》!」
と葉之助は手で止めた。
犬の死骸を抱き上げた。それを戸口から投げ込んだ。つづいて自分も飛び込んだ。
二人の武士が立っていた。
颯《さっ》と二人切り込んで来た。チャリンと葉之助は両刀で受けた。一人の刀をポンと刎ね、もう一人の刀を巻き落とした。寄り身になって横へ払った。ワッと一人が悲鳴を上げた。刀を落とされた武士であった。額から鼻まで切り下げられていた。
ドンと武士はぶっ[#「ぶっ」に傍点]仆れた。狼と犬とが群がりたかっ[#「たかっ」に傍点]た。見る間に寸々に引き裂いた。
「えい」と葉之助は声を掛けた。すぐワッという声がした。もう一人の武士が切り仆された。
犬と狼とが引き裂いた。
一九
葉之助は部屋を見廻した。
それはまさしく閨房《けいぼう》であった。垂《た》れ布《ぎぬ》で幾部屋かに仕切ってあった。どの部屋にも裸体像があった。いずれも男女の像であった。
多くの男女の信者達は、この部屋でお恵みを受けたのだろう。
あちこちに脱ぎ捨てた衣裳があった。
信者達は裸体で逃げ出したと見える。
部屋部屋には一個ずつ香炉《こうろ》があった。香炉から煙りが立っていた。催淫薬《さいいんやく》の匂いがした。
反対の側に戸口があった。
葉之助はそこから出た。
長い一筋の廊下があった。
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