尚、いくつかの檻があった。土佐犬の檻、猛牛の檻、そうして、どうして手に入れたものか、一つの檻には豹《ひょう》がいた。しかも雌雄の二頭であった。葉之助はその檻を引きあけた。悲鳴が門の屋根から起こった。
 熊が門を揺すぶった。狼が屋根へ飛び上がった。喚き声、叫び声、泣き声、怒声! 人獣争闘の大修羅場《おおしゅらば》がこうして、邸内に展開された。形勢は一変したのであった。
 読者諸君よ、この争闘を、単に邪教の教会ばかりで演ぜられると思っては間違うであろう。江戸市中一円に向かって、恐ろしい騒動を引き起こしたのである。
 いかに次回が血腥《ちなまぐさ》く、いかに素晴らしい大修羅場が次々に行われ演ぜられるか? いよいよ物語は佳境に入った。

         一七

 奇蹟を行う力があると、葉之助は自分を信ずることが出来た。
 彼は猛獣をけしかけ[#「けしかけ」に傍点]た。
「さあ勇敢にあばれ廻れ! 永い間檻へ入れられて、苦しめられたお前達だ、苦しめた奴を苦しめてやれ! 復讐《ふくしゅう》だ! 念晴らしだ!」
 猛獣は咆吼《ほうこう》した。
 豹は門の屋根へ飛び上がった。
 屋根の上から悲鳴が起こった。
 人のなだれ[#「なだれ」に傍点]落ちる音がした。恐らく男女二人の教主も、なだれ落ちたに相違ない。
 松明の火が瞬間に消えた。
 どこにも人影が見られなかった。
 もう一頭の豹が屋根を越した。
 門の向こう側で悲鳴がした。喚声、罵声、叫声、ヒーッと泣き叫ぶ声がした。
 逃げ迷う人々の足音がした。
 ウオーッという豹の吠え声がした。
 三頭の熊が門の柱を、その強い力で揺すぶった。グラグラと門が揺れ出した。と、屋根の瓦が落ち、扉が砕けて左右に開いた。
 そこから熊が飛び出して行った。
 十数頭の狼が、つづいて門から飛び出した。その後から駈け出したのが、巨大な五頭の猛牛であった。と、三十頭の土佐犬が、葉之助の周囲を囲みながら、後陣《しんがり》として駈け出した。
 入り込んだ所は中庭であった、すなわち第一の中庭であった。
 そこで格闘が行われていた。
 それは人獣の格闘であった。
 人間の死骸が転がっていた。
 食い殺された人間であった。
 半死半生の人間もいた、ある者は掌《て》を合わせ、ある者は跪《ひざまず》き、助けてくれと喚《わめ》いていた。
 葉之助は用捨しなかった。
 猛獣が用捨する筈がない。
 ムラムラと土佐犬は走り掛けた。忽《たちま》ち格闘が行われた。人間は見る見る引き裂かれた。一匹の犬は腕をくわえ、一匹の犬は首をくわえ、一匹の犬は足をくわえ、嬉しそうに尻尾を振った。
 向こうに一団、こっちに一団、取り組み合っている人影があった。熊と、豹と、狼と、取っ組み合っている人間であった。
 みるみる死骸が増えて行った。
 投げ捨てられた松明が、メラメラと焔《ほのお》を上げていた。
 百人余りの一団が、建物の方へ走っていた。教主を守護した信者達が、そこに開いている戸口から、屋内へ逃げ込もうとしているのであった。
 二頭の豹が飛び掛かって行った。数人の者が引き仆《たお》された。が、団体は崩れなかった。遮二無二《しゃにむに》戸口の方へ走って行った。三頭の熊が飛び掛かった。二頭の豹と力を合わせ、信者達を背中から引き仆した。
 殺された者は動かなかった。負傷《ておい》の者は刎《は》ね起きた。そうして団体と一緒になった。
 宗教的信仰の力強さが、そういうところでも窺《うかが》われた。教主を守れ! 教主を守れ! 食い付かれても仆されても、団体から離れようとはしなかった。
 猛獣の群は襲い掛かった。
 十頭の狼が飛びかかった。
 瞬間に十人が食い仆された。しかしみんな[#「みんな」に傍点]飛び起きた。
 教主を守れ! 教主を守れ! 教主を守った一団は、だんだん戸口へ近寄って行った。
 猛獣の群れの襲撃は、益※[#二の字点、1−2−22]惨酷の度を加えた。十二、三人が死骸となった。
 だがとうとう石段まで来た。
 その時牛が走りかかった。
 一団の只中へ角を入れた。
 バラバラと信徒は崩れ立った。
 しかし次の瞬間には、またムラムラと集まった。とまた牛が突き崩した。バラバラと信徒達は崩れ立った。しかし次の瞬間には、またムラムラと集まった。
 教主を守れ! 教主を守れ!
 狼はヒュー、ヒューと宙を飛んだ。豹は人間の頭を齧《かじ》った。猛犬は足へ喰い付いた。
 教主を守れ! 教主を守れ!
 一団は石段を上って行った。
 とうとう彼らは戸口まで来た。
 彼らは家の中へ崩《なだ》れ込んだ。
 熊も豹も狼も、つづいて家の中へ飛び込んだ。土佐犬が続いて飛び込んだ。
 つづいて葉之助も踊り込んだ。
 こうして格闘は中庭から、家の中へ移された。
 蜘蛛手《くもで》に造られてあ
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