《いぶ》かる家人を尻目に掛け、葉之助は宿を出た。
湖水に添って田圃路《たんぼみち》を神宮寺村の方へ歩いて行く。
間もなく水狐族の部落へ来たが、以前《このまえ》来た時と変わりなく家々は森然《しん》と寝静まり、犬の声さえ聞こえない。
「よし」
と呟くと葉之助は、木蔭家蔭を伝いながら、久田の姥の住居の方へ、足音を忍んで寄って行った。
広い前庭までやって来た時彼はハッとして立ち止まった。
幽《かす》かな空の星の光にぼんやり姿を照らしながら四、五人の人影が蠢《うごめ》いている。コンコンという釘《くぎ》を打つ音、シュッシュッという板を削《けず》る音、いろいろの音が聞こえて来る。何やら造っているようである。
「はてな?」
と葉之助は怪しんだ。で、一層足音を忍ばせ、暗い物蔭を伝い伝い、彼らの話し声を聞き取ろうと、そっちの方へ寄って行った。
何やら彼らは話し合っている。
「どうしたどうした、まだ出来ないか」
「節があるので削り悪《にく》い」
「いいかげんでいい、いいかげんでいい」
シュッシュッという板を削る音。
「釘をよこせ、釘をよこせ」
「おっとよしきた、それ釘だ」
コンコンという釘を打つ音が、夜の静寂《しじま》を貫いて変に陰気に鳴り渡る。
何を造っているのであろう。
とまた彼らは話し出した。
「莫迦《ばか》にゆっくりしているじゃないか」
「それは、最後のお別れだからな」
「齧《かじ》り付いているんだな」
「うん、そうとも、几帳《きちょう》の中で」
「百歳過ぎたお婆とな」
「どう致しまして、十七、八、水の出花のお娘ごとよ」
「アッハハハ、違えねえ」
彼らは小声で笑い合い、ひとしきりコンコンと仕事をした。
「思えばちょっとばかり可哀そうだな」また一人が云い出した。
「若い身空を水葬礼か」
「それも皆んな心がらだ」
「俺らに逆らった天罰だ」
「湖水を渫《さら》った天罰だ」
「諏訪家の若殿頼正なら、若殿らしく穏《おとな》しくただ上品に構えてさえいれば、こんな目にも逢うまいものを」
「いい気味だよ、いい気味だよ」
そこで彼らはまた笑った。
「……さて、あらかた棺も出来た」
「早く死骸《なきがら》が来ればいい」
そこで彼らは沈黙した。
これを聞いた葉之助はゾッとせざるを得なかった。
彼らは頼正の死骸を納める棺を造っていたのであった。そうして若殿頼正は、今夜もこの家へ引き寄せられ、美しい娘の水藻《みずも》に化けた百歳の姥《おうな》久田のために誑《たぶら》かされているらしい。しかも若殿頼正の生命《いのち》は寸刻に逼《せま》っているらしい。棺! 棺! 水葬礼! 彼らは頼正の死骸を棺の中へぶち[#「ぶち」に傍点]込んでそれを湖水へ沈めるのらしい。それが目前に逼っている!
「これはこうしてはいられない」
葉之助は足擦りした。とたんにガチャンと音がした。彼は何物かに躓《つまず》いたのである。ハッと思ったが遅かった。棺造りの水狐族が四人同時に立ち上がり、ムラムラとこっちへ走って来る。
「もうこうなれば仕方がない。一人残らず討ち取ってやろう」
突嗟に思案した葉之助は、そこに立っていた杉の古木の驚くばかり太い幹へピッタリ体をくっ付けた。
それとも知らず水狐族は四人|塊《かた》まって走って来る。
二八
眼前三尺に逼った時、葉之助の手はツト延びた。真っ先に進んだ水狐族の胸の真ん中を裏掻《うらか》くばかり、平安朝型の長槍が、電光のように貫いた。ムーと云うとぶっ[#「ぶっ」に傍点]倒れると、もう槍は手もとへ引かれ、引かれたと思う隙もなく、颯《さっ》と翻《かえ》った石突きが二番目の水狐族の咽喉《のど》を刺す。ムーと云ってこれも倒れる。敵ありと知った後の二人が、踵を返して逃げようとするのを追い縋《すが》って横撲り、一人の両足を払って置いて、倒れるのを飛び越すと、最後の一人を背中から田楽刺しに貫いた。
眼にも止まらぬ早業である。声一つ敵に立てさせない。
ブルッと血顫《ちぶる》いした葉之助、そのまま前庭を突っ切ると、正面に立っている古代造り、久田の姥の住む館へ、飛燕《ひえん》のように飛び込んで行った。
階段を上がると廻廊で、突き当たりは杉の大戸、手を掛けて引き開けると灯火のない闇の部屋、そこを通って奥へ行く。と、一つの部屋を隔てて仄《ほの》かに灯影が射して来た。
窺い寄った葉之助、立ててある几帳の垂《た》れ布《ぎぬ》の隙から、内の様子を覗いて見たが、思わずゾッと総毛立った。
艶《あでや》かな色の大振り袖、燃え立つばかりの緋の扱帯《しごき》、刺繍《ぬい》をちりばめた錦の帯、姿は妖嬌たる娘ではあるが頭を見れば銀の白髪、顔を見れば縦横の皺《しわ》、百歳過ぎた古老婆が、一人の武士を抱き介《かか》えている。他ならぬ若殿頼正で
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