ッスッと刻《きざ》み足に進んで来る。
「石渡氏、何事でござる! 子供を相手に木剣の立ち合い、不都合千万、控えさっしゃい! あいや鏡葉之助殿、拙者は松崎清左衛門、当道場の主人《あるじ》でござる。お幼年にもかかわらず驚き入ったるお手のうち、いざこれよりは拙者お相手、お下がりあるな下がってはならぬ」
 大小を置くと鉄扇《てっせん》を握り、場《じょう》の真ん中へ突っ立った。
 場内シーンと静まり返り咳《しわぶき》一つするものはない。武者窓から射し込む陽の光。それさえ妙に澄み返っている。
 葉之助もさすがに顔色を変えた。
 名に負う松崎清左衛門といえば当時日本でも一流の剣客、彼《か》の将軍家お手直し役浅利又七郎と立ち合って互角無勝負の成績を上げ、男谷下総守《おだにしもうさのかみ》と戦っては三本のうち二本取り、さらに老後に至っては、北辰一刀流を編み出した千葉周作を向こうへ廻し、羽目板へまで押し付けてしまった。名利に恬淡《てんたん》出世を望まず、そのため田舎へ引っ込んではいるが剣客中での臥竜《がりょう》である。
 今その人が鉄扇を構え、さあ来い来たれと云うのである。いかに葉之助が小天狗でもこれには圧倒されざるを得ない。
 しかし今さら逃げも出来ぬ。
「先生ご免」
 と竹刀を握り、小野派における万全の構え、両捨一用卍《りょうしゃいちようまんじ》に付けた。
「ははあ感心、守勢に出たな」
 清左衛門は頷《うなず》きながら東軍流|無反《むそり》の構え、鉄扇を立てずに真っ直ぐに突き出しじっ[#「じっ」に傍点]と様子を窺《うかが》った。
「エイ!」
 と一つ誘って見る。葉之助は動かない。
「ははあ、益※[#二の字点、1−2−22]堅くなったな……うむ、それにしても偉い覇気だ。構えを内から突き崩そうとしている。待てよ。ふうむ、これは驚いた。産まれながらの殺気がある。どうもこいつは剣呑《けんのん》だ。エイ!」
 とまたも誘ってみたがやはり凝然《じっ》と動かない。
 清左衛門は一歩進んだ。と葉之助は一歩下がる。間。じっとして動かない。と葉之助は一歩進んだ。と清左衛門が一歩退く。
「偉い。俺を押し返しおる。どうも恐ろしい向こう意気だ、しかも守勢を持ち耐《こた》えている。まごまごすると打ち込まれるぞ……これが十二の少年か? いや全く恐ろしい話だ。産まれながらの武辺者。まずこうとでも云わずばなるまい……とは云え余りに野性が多い。いわゆる磨かぬ宝玉じゃ……南条右近の三男と云うがこれは少々|眉唾物《まゆつばもの》だ。都育ちの室咲《むろざ》き剣術、なかなかもってそんなものではない……山から切り出した石材そっくり恐ろしく荒い剣法じゃ……そろそろ呼吸《いき》が荒くなって来たぞ、あまりに神気を凝《こ》らし過ぎどうやらこれは悶絶《もんぜつ》しそうだ。参った!」と云って鉄扇を引いた。
「はっ」と驚いた葉之助、トントンと二足前へ出たが、「参りましてござります!」
「前途有望、前途有望、将来益※[#二の字点、1−2−22]お励みなされ!」
「はい、有難う存じます」葉之助は汗を拭く。
「誰に従《つ》いて学ばれたな?」
「はい、父右近に従きまして」
「ははあ、そうしてそれ以外には?」
「師は父だけにござります」
「それは不思議、しかとさようかな?」
「何しに偽《いつわ》りを申しましょう」
「それにしては解《げ》せぬことがある」
 清左衛門は首を捻った。
「未熟者ではござりまするが、今日よりご門弟にお加えくだされませ」
「いや」と、不思議にも清左衛門は、それを聞くと冷淡に云った。「少しく存ずる旨《むね》もあれば、門に加えることなり兼ねまする」
「……存ずる旨? 存ずる旨とは?」葉之助は気色《けしき》ばんだ。
「存ずる旨とは、読んで字の如しじゃ」

         七

「葉之助、ちょっと参れ……聞けばお前は立川町の松崎道場で大勢を相手に腕立てしたと云うことであるが、よもや本当ではあるまいな?」
「は……本当でございます」
「なぜそのようなことをしたか」
「止むを得ない仕儀に立ち至りまして……」
「止むを得ない仕儀? どういう訳かな?」
「あらかじめ企《たくら》んだものと見え、道場の前へ差しかかりますと、ご門弟衆バラバラと立ち出で、無理|無態《むたい》に私を連れ込み、是非にと試合を望みましたれば……」
「おおさようか、是非に及ばぬの……噂によれば近藤、白井、山田等という門弟衆を、苦もなく打ち込んだということだが?」
「はい、相手が余り弱く……」
「うん、それで勝ったというか」
「つい勝ちましてございます」
「松崎殿とも立ち合ったそうだの」
「一手ご指南にあずかりました」
「松崎殿はお強いであろうな」
「まるで鬼神《きじん》でござります」
「そうであろうとも、あのお方などは古《いにしえ》の剣
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