へ上がったかと思うとキラリと何か閃《ひら》めいた。と権九郎は「あッ」と叫びバラリ手綱を放したが次の瞬間にはゴロリとばかり雪の中へ転げ落ちた。
「多四郎! わりゃ、俺を斬ったな」
 血に塗《まみ》れた肩先を片手で確《しっか》り抑えながら、権九郎は体をもがいたものである。
 多四郎は短刀を逆手に握り悠然と橇から下り立ったが、冷ややかに権九郎を睨み付け、
「どうだ権九、苦しいか」
「仲間を斬ってどうする気だ! さては手前血迷ったな。あ、苦しい。息が詰まる」
「何んで俺が血迷うものか。ずんとずんと正気の沙汰だ」
「なに正気? むうそうか。それじゃ汝《われ》アあの獲物を……」
「今やっと気が付いたか。……一人占めにする気だわえ」
「そうはいかねえ!」
 と云いながら権九郎はヒョロヒョロ立ち上がったが、肩の傷手《いたで》に堪えかねたものか、そのままドシンと尻餅《しりもち》をついた。
「そっちがその気ならこっちもこうだ、さあ小僧覚悟しろ!」
 これも呑んでいた匕首《あいくち》を抜くと、逆手に握って構えながら、立て膝をして詰め寄った。
 馭者《ぎょしゃ》を失った犬どもがこの時烈しく吠え出した。三頭ながら空を仰ぎ降りしきる雪に身を顫《ふる》わせさも悲しそうに吠えるのである。
 最初の傷手で権九郎は次第次第に弱って来た。肩からタラタラ滴《したた》る血は雪を紅《くれない》に染めるのであったが夜のこととて黒く見える。立とう立とうと焦心《あせ》っては見たがどうしても足が云うことを聞かない。膝でキリキリ廻りながらわずかに多四郎を防ぐのであった。
「それ行くぞ」
 と多四郎は嘲けりながら飛び廻った。彼は余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》たるもので、右から襲い左から飛びかかりグルリと廻って背後から襲う。鼠《ねずみ》を捕えた猫のように最初に致命的の一撃を加え、弱って次第に死ぬのを待ち最後に止《とど》めを差そうとするのだ。
 多四郎は莫迦《ばか》にお喋舌《しゃべ》りになった。
「おい権九、いやさ権九郎、何んと俺様は智恵者であろうがな。産まれながら蒲柳《ほりゅう》の質《たち》で力業には向き兼ねる。そこでお前を利用してよ、途方もねえ獲物を盗み出したところで、相棒のお前を殺してしまえば濡れ手で粟の掴み取り、一粒だって他へはやらねえ。……そのまた獲物が予想にも増し小判に直して四万両いや五万両は確かにあろう。へ、こ
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